山口大神宮
所在地  山口県山口市
最終訪問日  2001/11/10
 伊勢の神霊を勧請した神宮で、創建は戦国時代の永正17年(1520)。伊勢神宮同様内宮と外宮があり、それぞれ祭神は天照大御神と豊受大御神。
 山口は周防長門に絶大な勢力を築いた大内氏の本拠地で、京文化を花開かせて西の京とまでいわれたが、当主義興は室町幕府の為に11年もの間、京都に出陣していた。その在京中に伊勢神宮へ詣でた際、その荘厳さに圧倒されて勧請を決意したとされ、永正15年(1518)10月に帰国した義興は、すぐさま神域の選定に着手し、その年の内に造営が開始されて2年後に完成した。
 八幡宮や天満宮のように勧請された神社は多いが、伊勢神宮の勧請は当時例がなく、伊勢神宮自体が特別な神社であった。つまり、前例がない勧請を可能にしてしまえるほど、その頃の大内氏の勢力の大きかったということを物語っている。また、社殿の神明造りという建築様式はもちろん、内宮外宮や式年遷宮まで徹底的に忠実に形式を踏襲していることから、山口の文化的な水準が高かった証拠とも言え、その徹底的な踏襲の名残が現在も五十鈴川という川の名前に残されている。時代が下った江戸時代には民間でお伊勢参りが流行ったが、その頃には伊勢まで行かず、西のお伊勢様と呼ばれたこの神宮に参ることでお伊勢参りとする人も多かったようで、勧請とは言え、伊勢神宮の形式を徹底的に踏襲した宮は、オリジナルに劣らぬ権威があったのだろう。
 訪れた時は七五三と見られる家族連れが多く、駐車場も一杯だった。聞いたところによれば、20年に一度の式年遷宮が行われた年であったらしく、更にお木曳きと呼ばれる、社殿に使われる柱を曳いて境内に運び入れる行事は41年ぶりだったらしい。これは多分、7年に一度行われる諏訪大社の御柱祭りと同じようなものと思われるが、そう訪れることがないし、20年に一度しかないイベントなので、せっかくならちょっと見たかった。