鳥取縣護国神社
所在地  鳥取県鳥取市
鳥取県庁北3.3km
最終訪問日  1996/6/17
 維新後、明治政府は倒幕の過程で志半ばにして斃れた志士を慰霊顕彰する為、招魂社を創設し、それに倣って全国各地にも戦役などで没した英霊を祀る招魂社が建立されたが、この元となったのは各藩が独自に行ってきた招魂の祭祀であった。この鳥取縣護国神社の前身も、そのような招魂の祭祀場のひとつで、鳥取藩主が祭主となって幕末から戊辰戦争で斃れた藩士を祀った祠がその最初である。
 廃藩置県に伴い、各地の藩は県へと改称され、藩主は華族となって東京に移り住んだが、招魂の祭祀はこれと同時に県へと移管され、東京招魂社への合祀と共に招魂社へと名称が変わった。この神社もこれに伴って鳥取招魂社となり、昭和14年の内務省令で護国神社に改称され、府県社に相当する指定護国神社となったが、戦後は占領統治への配慮から一旦は因伯神社へと改称されている。その後、日本の独立回復と共に護国神社の名称に復し、昭和49年に鳥取市街から現在地に移転した。
 国道9号線から鳥取砂丘へと入る道に砂丘トンネルというのがあるが、鳥取縣護国神社はこの砂丘トンネルのすぐ近くにある。戦前は指定護国神社だったので社格も高く、存在感のある神社だったはずだが、現在は別表神社からも外れており、地域の神社という感じだ。だが、遺骨収集事業の際に回収された旧日本軍の機関銃や鉄のヘルメット、飯ごうなどが展示されているほか、フィリピンで戦没した人の慰霊碑などもあって、静かに英霊を祀っているという雰囲気が漂っており、祀られる御柱にとってはこのような穏やかな環境の方が良いのかもしれない。