福沢諭吉旧居
所在地  大分県中津市
JR中津駅北1.2km
最終訪問日  2001/11/9
旧市街に残る旧居 1万円札や学問のすゝめで有名な福沢諭吉の旧居。
 諭吉は、中津藩の藩士であった父百助の次男として天保5年12月12日(1835.1.10)に生まれたが、百助は大坂の中津藩蔵屋敷詰めであった為、生地は今の大阪市福島区である。旧居へ住んだのは、1歳6ヶ月で父が病死し、母子で帰郷してからで、19歳の時に蘭学を志して長崎に遊学するまで居としていた。
 長崎遊学の翌年、大坂にある緒方洪庵の適塾に入塾し、寝る時間以外はほとんど勉強という青春時代を過ごして塾頭まで務め、安政5年(1858)には中津藩の蘭学教師として、江戸の築地にあった藩邸に慶應義塾の前身となる蘭学塾を開いた。また、勝海舟の遣米使節に随行するなど3度の洋行を経験し、やがて幕臣にもなったが、維新前後には幕臣の地位をあっさり返上している。明治になってからは、新政府の再三に渡る出仕要請も断り、専ら民間にあって著作を中心とする啓蒙活動を展開し、明治34年2月3日に東京で没した。
 諭吉が若年を過ごした旧居には土蔵があり、この2階が諭吉の勉強部屋だったらしく、当時の下級武士の生活が知れる。敷地内には駐車場が整備され、隣接した福沢諭吉記念館と共に観光地として多くの観光客が訪れているのだろうが、周辺は武家屋敷を下敷きにした狭い路地が入り組む場所で、自家用車での移動は辛いかもしれない。