山村代官屋敷
所在地  長野県木曽福島町
木曽福島町役場北東300m
最終訪問日  2000/9/10
 江戸時代、木曽福島にあった関所の関守兼木曾谷の代官だった山村氏の屋敷。
 もともと山村氏は、源義仲の子孫という伝承を持つ木曾氏の家臣であった。木曾氏は義康の時に武田信玄と争うが、やがて降伏して木曾谷を安堵され、子の義昌は信玄の娘婿になった。しかし、信玄の没後、義昌は信長の勢力伸張を見て織田家に寝返り、天正10年(1582)の本能寺の変後は家康に属した。秀吉と家康が争った同12年(1584)の小牧長久手の戦いの際には秀吉方として行動するも、戦後は再び家康が信濃の統治権を得た為、徳川家に帰参することとなり、家康の関東移封と共に下総に移されたが、子の義利は粗暴であった為に改易され、大名としての木曾家はここで終わっている。
 山村氏自体は近江出身といわれているが、戦国初期頃に木曾氏に仕え、良利は婚姻で一門衆に迎えられるほど重用されたらしい。その子良候も木曾氏に仕え、下総へ移ったときも子の良勝と共に従ったが、主家没落後に良候は木曾谷へ帰ったという。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の際、良勝が同じく木曾旧臣の千村良重と共に木曾谷の安全確保を命じられ、木曾谷に戻って父と共に挙兵した功で戦後は木曾谷に所領を得、木曽福島の関守と木曾谷の代官職を兼ねた。その後、山村氏は尾張藩付きとなったが、江戸時代を通じて関守と代官の職は世襲している。
 現在の代官屋敷は、享保8年(1723)に建設されたかつての下屋敷の一部に過ぎず、それほど大きくはないが、福島小学校の場所にあったという上屋敷は、もともとは木曾氏の屋敷の敷地であった為、身分に比して相当大きかったらしい。それだけ、商品力のあった木曾檜などの木材が重要視されていたということだろうか。屋敷の名は城陽亭といい、江戸時代の武家屋敷に見られる書院造で、大木に囲まれた屋敷は、どこか江戸時代の武家の持つ威厳を漂わせている。