福島関跡
所在地  長野県木曽福島町
木曽福島町役場東500m
最終訪問日  2000/9/10
 江戸時代にあった関所の跡。江戸時代の天下四大関所の内のひとつ。
 木曾谷では、源義仲の子孫と称する木曾氏が古くから勢力を培い、福島へは戦国時代に城を構えて本拠を移してきたといわれている。その木曾氏は、武田信玄と争ったものの敗れて降伏し、婚姻によって信玄の一門衆として遇されたが、信玄の死後、信長の勢力伸張によって織田家へ寝返り、本能寺の変で信長が横死した後は家康に仕えた。その後、天正12年(1584)の小牧長久手の合戦では秀吉に属したが、戦後は再び家康に仕え、天正18年(1590)の家康の関東移封に伴って下総に移り、木曾谷からは離れた。この木曾氏は江戸時代までに改易されてしまうのだが、その遺臣山村良勝が慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の際に木曾谷で挙兵して功を挙げ、戦後は再び木曾谷に領地を得た。
 江戸時代になって中山道が五街道として整備されると、人の流れを管理する為に、福島城を廃して関所を設けた。関所の設置された年はよくわからなかったが、恐らくは街道の整備と同時期だろう。この関所の関守として前述の山村氏が任命され、後に山村氏は尾張藩付きとなるのだが、職務はそのまま子孫に引き継がれている。
 この関所では俗にいう「入り鉄砲に出女」の監視はもちろんのこと、特産である檜などの木材の持ち出しも厳しく監視していたという。江戸時代には、木曾の木材は良材として非常に需要があり、その密売は尾張藩の財政に直接影響を与えかねない性質のものだったからである。現在においても脱税の罪が他に比べて重いことを考えれば、当時も今も事情はそれほど変わらないものだと妙に納得する。
 関所は明治2年2月に廃止され、取り壊されていたが、昭和50年の発掘調査によって遺構が明らかとなった。現在は、その関所の跡に礎石が残り、建物も部分的に復元してあって、その隣には関所資料館もある。