王塚古墳
所在地  兵庫県神戸市西区
JR西明石駅北東1km
最終訪問日  2014/4/6
墳丘と水を湛えた環濠 5世紀末から6世紀初頭の前方後円墳で、地元では単に王塚古墳と呼んでいるが、地図には桧笠岡王塚古墳とあり、吉田王塚古墳ともいう。
 推古天皇11年(603)、撃新羅将軍であった来目皇子の後任として、聖徳太子の異母兄弟である当麻皇子が征新羅将軍となって西に下るが、播磨の国で妃の舎人皇女が死去した為、同国赤石桧笠岡に葬ったというのが日本書紀にある。王塚古墳はその比定地となっている為、現在は陵墓参考地として宮内庁が管理しているが、一般には五色塚古墳などと同様に、明石平野一帯を支配していた明石国造などの豪族が築いた古墳と考えられているらしい。
 古墳の大きさは、全長102m、前方部の幅35m、後円部の幅38m、高さ8mで、墳丘の周囲に濠を持つ。古墳の周囲は宅地造成の際に整地されて公園となっているが、この宅地造成では3基あった陪塚も整地されてしまい、北側に幣塚公園として1基だけが残っている。
 しばらく前には墳墓の護岸工事も行われ、環濠との水際が綺麗になって以前より鬱蒼としたとした感じが無くなったが、工事の前から環濠に棲んでいた亀はいまだに元気なようだ。春には桜が綺麗で、毎年花見客が多い。