箕谷城 所在地 兵庫県神戸市北区
阪神高速北神戸線箕谷I.C.北西800m
区分 山城
最終訪問日 2009/9/19
箕谷城跡公園の碑 城の歴史については、現地に案内板などが無く、更に、手持ちの資料などを探してみたもののこの城に関することは何も記載されておらず、事跡不詳としか言いようがない。
 織田家の中国方面軍の司令官だった秀吉は、天正6年(1578)から東播に勢力を持つ別所氏の三木城を攻め、それに対して反織田陣営は同年に信長から離反した荒木村重の協力で毛利氏からの兵糧を三木城へと運び入れているが、そのルートは花隈城から丹生山を越え、淡河城を経て三木城に至るというものであった。このルートを辿ると、現在の国道428号線にほぼ近いルートで、箕谷城の位置が非常に重要な場所のように思えるが、この三木合戦において箕谷城という名は出てこない。ということは、この時期には既に廃城となっていたのだろうか。それとも、秀吉の配下にあったと思われる有馬氏が支配しつつ、その有馬氏が秀吉の弟秀長による補給ルート潰しには関わらなかった為、拠点として使われなかっただけなのだろうか。
 現実的に考えると、これだけルートに近ければ名前ぐらい出てきてもおかしくはないはずで、すでにこの頃には城の機能を失っていたと考えるほうが無難ではあるのだが。
公園内の郭跡のような地形 城跡は現在、城址公園となっているが、住宅地に在る大きめの公園というだけで、特に歴史的な何かを感じさせるような施設や造り方にはなっておらず、公園内の遊具のある所は段状になっていたものの、これが当時の地形を流用したものか、それとも単なる公園造成でできたものなのかは判断できなかった。だが、公園の北側には明らかに郭の跡と考えられる段のついた地形があり、その先はかなり急な崖となっている。恐らく、往時は眼下に街道筋と志染川を押さえた崖城だったのだろう。国道側から見ると、城の防御力の源だったと思われる急峻な崖が確認でき、城が要害の地にあることが理解できる。
 とにかく、箕谷城については何も分からないとしか言いようが無いが、地元の図書館などにしか置いていないような、郷土の伝承などを乗せた書籍に何か載っている可能性は高い。時間が取れたら一度じっくり調べてみようとは思っているが、なかなかその時間が取れずに延び延びになっている。