湊川神社
所在地  兵庫県神戸市兵庫区
JR神戸駅西1km国道28号線沿い
最終訪問日  2002/8/26
 明治維新になって国家神道が確立されたが、その基本は水戸光圀の大日本史に見られるような朱子学的な歴史観だった。朱子学で言うと、南北朝時代の北朝は夷で南朝が正当な華となり、このことから、南朝に味方して湊川の合戦で玉砕した楠木正成の名が幕末以降著しく揚がることとなる。
 もともとこの地には楠木正成の塚があったが、そのことを知った水戸光圀が墓所を建て、尊皇攘夷思想が渦巻いた幕末には、有名無名の志士たちが多く訪れた。これら幕末の歴史観をそのまま引き継いだ明治政府は、この墓所と殉節地を含む領域を境内として定め、建武3年(1336)の湊川の合戦で散った正成の命日前日である明治5年5月24日、官幣神社として創建されたのが湊川神社である。
 第2次大戦以前は、教科書などで正成が忠臣の鏡のように描かれていたこともあって、非常に崇拝を集めていたが、戦後は正成の評価がタブー視されたような感じで棚上げされ、神社もそれに合わせるように国家的な人気を集める神社ではなくなった。だが、今も神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつであり、社格は高い。
 現在は、かなり多くの車が行き交う国道北側にあるが、市街地にありながら、明治から受け継いだ社域は未だ広く、境内は静かな雰囲気が漂っていて気持ちが落ち着く。地元では「楠公さん」の愛称で親しまれ、境内にある能舞台では能や狂言も上演されており、神戸の人なら1度ぐらいはこの神社で観劇したことがあるという人が多い。