柿本神社
所在地  兵庫県明石市
山陽電鉄人丸前駅北200m明石市立天文科学館北すぐ
最終訪問日  2016/11/16
柿本神社本殿 三十六歌仙のひとりで歌聖とも称される柿本人麻呂を祀る神社。神社名の読みは、カキモトではなく祭神と同じカキノモトである。
 柿本人麻呂は、その生没年を始めとして官位や事跡すらよく判っておらず、ただ短歌や長歌だけが残るという、まさに歌の仙人という感じの人物なのだが、その終焉の地は一般に石見国益田沖合いの鴨島という。ただ、これも伝承であり、他にも幾つかの諸説や伝承がある。墓所は、大和添上郡にあり、もう廃寺となっているが、柿本寺という柿本氏の氏寺に葬られていた。
 人麻呂がなぜ明石に祀られたかというと、「ほのぼのと 明石の浦の朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ」という古今和歌集にある歌を人麻呂の詠んだ歌とし、その縁によって明石で歌聖として崇めた為といわれる。また、伝承では、神社の別当寺である月照寺の前身楊柳寺の僧覚証が、仁和3年(887)に夢で人麻呂の霊を感じ、寺の裏の塚が人麻呂の塚だったことから祠を建てて寺の鎮守として祀ったという。ただ、いずれにしても、人麻呂を祀った経緯に関しては、伝説や推測の域を出るものではないようだ。
 柿本神社の創始としては、前述の月照寺の鎮守としての人丸社の祠が最初で、現在の明石城の場所である明石の岡にあり、神仏習合の中で月照寺と一体のものであった。それでも、人麻呂を祀っているという事自体は、比較的知られていたようだ。
 その後、江戸時代に入り、明石を治めることになった小笠原忠政(忠真)は、明石の岡に明石城を築くこととし、柿本神社は月照寺と共に明石の岡から移され、現在の姿となった。また、明石の岡の祠はそのまま残され、城の鎮守として祀られたという。移転の年代は、明石城築城工事の基礎部分が完成した元和5年(1619)から同7年(1621)まで資料によって幅があるが、柿本神社のホームページでは同6年(1620)としている。
 人麻呂が祭神ということで、学問や芸事に関する祈願が主となる神社だが、人麻呂が後世に人丸と書かれた事から、人産まるや、火止まるという語呂合わせで、安産祈願や火災除の神様としても信仰されているという。また、人麻呂の歌から、夫婦生活を重視した人物との説もあることから、夫婦和合の神様としても祀られている。
 JRの電車内や、明石市街の浜手からよく見える大きな時計塔を持つ明石天文科学館のすぐ北に神社はあり、社のある人丸山の高台からは、明石海峡大橋や淡路島が一望できて眺めがかなり素晴らしい。神社参道は東と西にあるが、西の参道入口の鳥居の下には亀の水という湧水があり、この水は播磨三名水にも数えられているほどの水で、自然林の残る参道を下りて来ると、多くの人が水を汲みに来ていた。神社へ車で行く場合は、天文科学館入口を過ぎて更に坂を上ると、公園の横から境内へ登れる道があるのだが、すれ違うのが不可能な1車線の急坂で、七五三などの出入りの多い時期には注意が必要である。