〜前編からの続き〜

8/28
 この日は名古屋に行く気満々で、いつものように友人の出勤時間に家を出た。ルートは前日と同じように、名神高速の彦根I.C.に入らずにそのまま直進、多賀大社の前で分岐している国道306号線に入って山を越えようとしていた。
 分岐から数kmほど走った頃、国道の電光掲示板に通行止めの文字が見えたような気がしたが、それほど気にも留めずに更に10kmほど行った頃、デカデカと掲示板に「国道306号線土砂崩れの為通行止め」とあるのを決定的に確認した。「うぉ〜い、待ってくれ〜」という心の叫びと共に、名古屋行きへの野望は潰えた。
 通行止めと表示されている掲示板の下で、改めて地図を開いて今日の計画を練り直していた時、昨日が月曜日で水口城に入れなかったのを思い出し、方向も一緒なのでこのまま水口に向かうことにした。通行止めで引き返した頃は曇天模様だったが、水口に近付くにつれて回復し、水口に入る頃には快晴といっていいぐらいの晴れになっていた。
 水口城では、資料館に入るとお茶を出され、説明員もいて、とてもアットホームな雰囲気があった。説明員の方は、おじいちゃんと呼ぶのがちょうどいいぐらいの年配の方で、たぶんボランティアだと思うが、さすがに町に伝わる伝承や城のことに詳しい。年配の方特有のリピートするくどさはあるが、知らないことをたくさん聞けてなかなか良かった。
 水口からは、国道1号線で鈴鹿峠を目指す。去年伊勢に来たとき、帰りに走って面白かったが、そういえば新人の時も慰安旅行で走った記憶がある。県境にある鈴鹿峠は、古代から三関のひとつに数えられる重要な関所が置かれ、ここより東を関東、西を関西と呼んでいた。江戸時代に箱根の関が重要視されて、箱根以東を関東とするようになったが、関東関西の言葉は、古代から脈々と受け継がれてきているのは面白い。現在の峠部分は上下2車線ずつになっていて、対向車の心配をせずに楽しく走れる。しかし、楽しみにしていたこの日は舗装の工事中で、部分的に1車線だったり、舗装が削られてバンピーだったりと、ワインディングを堪能できなかった。
 鈴鹿峠を越えて三重県に入ると、そこは関町になる。峠を下りてすぐの道の駅関宿で、畳のごろんとできるスペースがあったので横になっていたら、ついうっかり30分ほど寝てしまっていた。体は正直なもので、まだ一日バイクに乗る生活に慣れていないらしい。そこからバイクを置いて徒歩でブラブラしてみると、町役場の南側に素敵な街並みがある。この関という名前は鈴鹿の関から来ているのは言うまでもないが、江戸時代も関宿という東海道の宿場町として栄えた。現在も町役場の南には、その宿場町の雰囲気をよく残している一角があって、木曽の妻籠ほど本格的ではないにしても、ちょっと近代化された宿場町という感じで、独特の風情を持っている。
 関宿から亀山へ国道1号線を辿っていくが、だんだんと交通量が多くなってきた。亀山付近では完全な渋滞になったので、市街地のほうへ足を向け、とりあえずファミレスで遅めの昼食を摂る。昼食の後、ちょっと急な坂道を上って亀山城を散策した。
 亀山城は、今ではもう残っている建物は二重櫓だけで、城域も学校などになっていて全容がはっきりしなくなっているが、残っている高石垣や周辺の地形からすると、往時はなかなか防御力が優れていたように思う。城の裏手に資料館があるようなので行ってみると、やけに駐車場がガランとしているなと思っていたら、やっぱり休館日だった。火曜日もなかなか侮れない。
 亀山を出て、ついでに四日市や津辺りまで足を延ばしたいところだが、渋滞はうんざりなので、今度は養老の滝を目指して因縁の国道306号線を北上していったが、途中から、昔通った記憶があることに気付いた。そういえば6年前、上野から関ヶ原に抜けたのは、たぶんこの道だったんだろう。なんとなく覚えていて懐かしいし、交通量も少なくていい道だ。ただ、今日だけなのか、それともダイナミックな台地が広がるこの辺の地形特有の颪なのか、大安町付近は非常に山からの風が強い。コーナーが少ないので風の影響は少ないが、ほどよくぬるい風が晩夏を感じさせる。
 休憩もほとんど取らず、北上を続けて2時間近い。日没が迫る中、岐阜に入って国道から東に入り、今日の最終目標である養老の滝を目指した。名神高速の養老の滝S.A.はよく利用するし、名前もメジャーだが、実際本物を見るのは今日が初めてだ。それほど険しくない山道を上って行くと、山の中腹に駐車場があり、そこからは階段で滝の近くまで行ける。リフトの設備もあるが、もう時間が遅いのか動いてなかった。階段をトコトコと歩いて滝の近く行ってみると、思ったより時間はかからない。どうやら下から徒歩で登山してくるルートもあるようで、元気な家族連れが数組登って来ていた。
 今まで滝をたくさん見てきたが、この養老の滝は高さの割に滝壷が小さい。なので滝が落ちているすぐ近くまで寄っていくことができる。遠くからでは意外と分からないが、近くによるとそれほど大きな滝ではないにもかかわらず、その水を含んだ風圧は想像を超える強さがある。ぼーっと立っていれば自然と体が傾いていくぐらいだ。このぐらいの大きさの滝で、これだけの力を感じるのだから、自然の力というのは計り知れない。古代の人が畏敬を持って祀っていた気持ちも分かるし、感動も覚える。
 養老の滝を出る頃には、既に日は沈み、薄暮の時間となっていた。ここから暗くなるまでは時間との戦いになるが、夏は日が暮れても寒くはないのでまだ余裕がある。素直に滋賀に帰るとなると、国道21号線がオーソドックスな道だが、何回もこの道は通っているので、趣向を変えて北国脇往還の国道365号線から帰ることにした。この道は車もそれほど多くなくて、なかなか良い感じ。また昼間にゆっくりと景色を眺めながら走ってみたいし、沿道にある関ヶ原ウォーランドにもちょっと興味がある。でもウォーランドってまた、一般受けしにくそうな名前やね。
 このまま北国脇往還をまっすぐ行ってしまうと、長浜の東まで抜けてしまうので、途中から南西方向に出ている鉄道沿いの道に入り、ほとんど暗くなった道を彦根方向へと走った。今日は予定とはかなりずれたが、なかなかよく走ったし、行くところには行けたから、まぁ結果オーライってとこかな。
走行距離 249.28km

8/29
 この日も朝から晴れ。今日は2日目にいけなかった琵琶湖の南湖の部分と、比叡山の辺りを目標に、彦根から湖岸道路を走り出す。既に地元民のように湖岸道路は知り尽くした感がある。
 近江八幡を過ぎ、琵琶湖博物館が右手に見えるようになると、琵琶湖大橋も近い。前回渡った時は薄暮より夜に近い時間だったので、今回はゆっくりと風景を楽しみながら堅田方面へ渡り、国道161号線を南下して坂本に着いた。
 坂本はもともと門前町として栄えていたところで、日吉大社や、そのすぐ前の、たぶん名前からは馬を繋いだりしたところであると思われる日吉の馬場にある延暦寺の里坊がその中心だが、古代には比叡山自体が神として祀られていたと考えられているらしい。その古代神道的な信仰と、最澄の開いた延暦寺の鎮守としての役割が、神仏習合の典型的な表れとして中世の日吉大社になったらしい。明治の廃仏毀釈で日吉大社に仏教色はなくなってはいるが、そう考えると、仏教の里坊と神社が混在しているこの風景は、実に日本らしい宗教風景と思える。また、この一帯の建物には、穴太積と呼ばれる石垣が使われ、白壁の塀と合わさって、傾斜地に粛然と並んでいる姿は、不思議と歴史の積み重なりを感じさせる。
 団体さんが来たのか、やけに観光客が多かった日吉大社は、人ごみに入る気がしなかったので断念し、バイクで里坊の辺りをゆっくり走りながら再び湖岸沿いへと下りた。やはり坂本といえば光秀所縁の坂本城は是非とも押さえておきたい。国友で買った本から城址碑があることは分かっていたが、具体的にどこという地図は載ってなかったので、国道161号線を大津方向へ走りながら城址碑を探す。
 一度、唐崎の松のところまで行ってしまったので、Uターンしてしばらく行くと城址碑を発見できたが、湖側だったので今度は発見が遅くて右折できず、再び折り返して3度目でたどり着くことができた。しかし、そこには本にあったように遺構は何もなく、簡単な説明と公園があっただけで、ちょうどお昼頃なので、駐車場は見る思間に満車となり、弁当を食べる人、昼寝する人、散歩する人など、割と多くの人がい思いに過ごしていた。小さいところながら、坂本界隈では結構人気の休憩スポットらしい。
 弁当を食べている人を見て急に腹が減ってきたので、国道沿いのファミレスで昼食を済ませ、比叡山へ向かう途中、歓楽街で有名な雄琴温泉の横を過ぎたが、やはり昼間は人影もまばらだ。まだオンタイムには10時間早い。
 雄琴から山のほうへ入り、比叡山延暦寺に向かって奥比叡ドライブウェイを上る。比叡山が急峻なだけにこの道も急な部分が多いが、ずっと2車線あって、アップダウンとワインディングが存分に楽しめる。
 ドライブウェイをほぼ頂上まで行くと、ようやく延暦寺の駐車場に着いた。駐車場にあった案内板を見ると、延暦寺の寺坊群はこの場所だけではなく、何ヶ所かあるらしい。平安時代ずっとあり続けるだけあって、山全体が寺という感じだ。信心深い人は一日かけて回ったりするんやろけど、天台宗徒どころか仏教にもあまり興味がない一般的な日本人の自分は、歴史の教科書にも載っていた根本中堂には寄ることにした。
 入口で拝観料を払って奥に進むと、叡山で修行した日蓮などの紹介があり、1回何十円かで衝ける鐘のところから石段を下ると、お目当ての根本中堂がある。概観はそれほど特殊な感じはしなかったが、写真撮影が禁止されている堂の中に入ると、日の差し込まない暗闇の中に、異様に太く見える柱が護摩の火に照らされ、とても荘厳な雰囲気を醸し出していた。流行りの新興宗教の安っぽさとは比べ物にならないほどの、心理的な威圧感や重厚さに圧倒される。これが千年の歴史の重みなのだろうか。自分は現実主義、合理主義を自認人間だが、ちょっと神仏の類を信じてみたくなるような気分にさせるところが凄い。今のように情報が氾濫している時代ではなく、手に入る情報が少ない時代に、「これが仏様の素晴らしいところですよ」なんて耳打ちされた日には、コロッと信じてたかもしれん。
 延暦寺を後にして、もう少しだけ比叡山を上ってみる。興味があったのでドライブウェイのドン突きまで行ってみると、そこには総合キャンプ場があった。展望台もあって琵琶湖の眺めは素晴らしいが、逆の京都方向は山が多くてイマイチ方向感覚が分からなかった。夏休みも終盤なので家族連れが多く、少し落ち着かないので、滞在5分で出発し、今度は大津側に出る比叡山ドライブウェイを下る。こちらの方は都会に向かうためか、行きの奥比叡ドライブウェイよりも交通量が多い。そういえばそろそろ混む時間に差し掛かって来ている。
 湖岸まで下りると国道161号線に戻ってくるが、市街地が近付くにつれて渋滞がひどくなってきた。時間があれば大津の博物館も寄ってみたかったが、ラッシュ前でこの交通量なら、ラッシュに巻き込まれた日にはとんでもないことになる。そう思うとぶらぶら回っていく気持ちも無くなり、一刻も早く離脱したい一心で先を急いだ。
 競艇場の前ぐらいから国道1号線方向に分かれる交差点までが渋滞のピークだったが、この競艇場のある浜大津付近に大津城があったらしい。今では遺構もなく、発掘調査もされないまま市街化されてしまったので、詳しい場所さえ分かっていない状況らしいが、工事の際に石垣が出土して、そこにひっそりと城址碑が建てられているという。とりあえず大津港まで抜けてから、港にバイクを止めて徒歩で散策してみたが、それらしきものには出会えなかった。渋滞をすり抜けることができなかったので、時間をだいぶんロスし、もう港には夕暮れが迫っていた。今日は渡った事がない近江大橋を通って、いつもの湖岸道路で彦根まで帰還するとしよう。
走行距離 163.68km

8/30
 この滋賀の旅も大詰め。せっかく近畿の端まで来たのだから、この日は隣の中部の端、岐阜県は郡上八幡まで足を延ばすことにした。
 国道8号線から21号線に入り、関ヶ原を通過したところで幟が目に付いたので、桃配山陣所跡に寄ってみた。前々から通過ばかりしていて、1度は寄らなあかんと思っていた場所だ。
 ここは関ヶ原の合戦で、家康が最初に陣を張った場所で、名前の由来は古く、壬申の乱の時に大海人皇子が陣を張り、将兵に桃を配ったことから付いたらしい。その壬申の乱も関ヶ原で決戦が行われたというから、関ヶ原は次代の支配者を決める戦場に2度なったことになる。地形のというのは、合戦には非常に重要な要素やっちゅうことやね。
 そのまま国道21号線を東進してコンビニで休憩して地図を開いていると、藤九郎ギンナンというのが近くにあるらしい。ついでなのでちょっと寄ってみることにしたが、その場所が分からなかった。地図上の位置には森神社という小さな社があるが、その近くをバイクや徒歩で回ってみても、それらしいものがなかった。ちょっと気になるな。
 岐阜といえば岐阜城のイメージがあるが、江戸時代は加納藩といって関ヶ原の合戦後に築城された加納城が本拠地になっていた。岐阜城が関ヶ原の前哨戦で落城したのと、山城で不便だったことが城を移した理由と思われるが、その加納城には行ったことが無いので、いい機会だから行ってみることにした。地図には城跡の文字はないが、加納公園が加納丸之内という地名にあるので間違いないだろう。
 公園に着くと、石垣が公園を囲うようにあり、判断が正しかったことが知れた。付近は市街地から少しはずれた住宅が多い区域にあり、本丸のみが公園として残っていたが、堀は埋め立てられてグラウンドになっていた。石垣のすぐそばまで住宅や駐車場が迫っているので、住宅地に取り残された史跡という感じはあるが、それはそれで住民に愛されているような親近感がある。
 城下町から商都になった岐阜と、城下町の加納がくっついて現在の岐阜市になっているので、加納から岐阜の市街地までは少し距離がある。岐阜市街はなんとなく車が多いイメージがあったが、ルート選択が良かったのか、思ったよりも流れが良く、加納から北上していくのはとてもスムーズだった。途中踏切が閉まっていたので、それは左折して回避し、市街を突き抜けて岐阜公園へと向かった。岐阜公園に行くまでの道には、センターラインが時間によって変わる道があるが、時間の変わり目はどやってるのかちょっと見てみたいと思いながら、長良川の近くまで来ると、一通が多くて岐阜公園に行けそうで遠回りさせられる。そこはバイクの機動力を生かしてUターンし、岐阜市歴史博物館の前に止めると、係員の人に怒られた。やっぱりまん前はちょっとマズかったかな。
 岐阜城は6年前にも来ているので城には行かず、麓の資料館達を巡ってみた。岐阜市歴史博物館は結構期待して入ったが、なんか特別展示の準備工事中で特別展示はなく、常設展示も、楽しみにしていた中世から近世のかけての歴史の展示は少なかった。ただ、岐阜に関する本が置いてあるコーナーで、「岐阜の城」という本を見つけたときはちょっと嬉しかった。中は岐阜の城についてよく書かれていて、裏の値段を見てみると16000円と印刷されていた。やはり専門書は高い。かなり欲しいけどちょっと無理。
 岐阜の北の郊外で昼食を済ませ、一路郡上八幡ら向かう。素直にルートを選択すれば、国道156号線を真っすぐ北上するルートだが、天気もあまり良くないのもあって、帰りはすぐ高速を選択できる余地を残しておく為に、国道256号線を北上して東へ山を越えて郡上八幡に入るルートを選択した。いきなり最初のほうに、工事で通行止めの区間があり、迂回したので結構時間をとられたが、それ以降は淡々と走れる田舎道で気持ちよく走って行けた。郡上八幡まで10kmちょっとまで迫り、いよいよ山越えという区間に入ったが、このタラが谷越えの区間だけは、国道とは思えない狭さでタイトなコーナーが続いた。地図にも国道という雰囲気はほとんど感じられないと書いてあったので、その通りやなと思いつつも対向車がほとんど無い道でもあったので、結構好き放題倒せて楽しめ、久々に峠を攻めたような満足感があった。
 郡上八幡に着くと、空はかなりの曇天模様になって来ていた。ちょっと急がないと雨が落ちてきそうだ。とりあえずお目当ての郡上八幡城に向かう登り口を探していた時、高校生2人がカウントダウンをして橋から飛び込んでいるのを目撃した。ここが有名な新橋らしい。飛び込んでみたい気持ちは山盛りあるんやけど、バイクで水着も持ってきてないし、1人で飛び込んでもねぇ。
 郡上八幡城が当時国宝だった大垣城をモデルにしてて、往時の姿とはちょっと違うということに驚きつつもゆっくり見学し、麓に下りて城と共通券の郡上八幡博覧館に入った。ここの展示は当然のことながら郡上踊りがメインだが、意外にも歴史に関しての展示も多くて楽しめた。最後のほうには、郡上八幡でかなりのシェアをもっている料理サンプルに関しての展示もあって、ついついお土産にたくあんとウインナーのサンプルを買ってしまった。それにしてもこの質感は凄い。普通に皿に並べてたら、多分何の疑いもなしに食べてしまうやろな。友達に1回やってみよかな。
 博覧館を出るとあめがバラつきだしていた。急いでカッパを装着したが、まだ降ったり止んだりの状態なので、国道156号線を行ける所まで行こうと出発した。結構早く降り始めるかなと思っていたが、意外と天気は持ちこたえ、東海北陸道の美濃I.C.までたどり着いた。ここからは渋滞というのも十分ありえるので、まだまだ本降りではないが、東海北陸道から帰る事にする。まだ5時半過ぎというのに薄暗い。あとは本降りになるまでにどこまで距離を稼げるかが勝負どころ。しかし、大変なことになる前に何とか帰り着きたいという願いは叶えられず、友人の家にたどり着く頃には、カッパの下のジーンズにまで浸水していた。ただ、和歌山の時のように、靴の中にせせらぎを感じるまでにはならなかったのは救いだった。
走行距離 267.04km

8/31
 ついに1週間を越える滋賀探索も、今日が最終日となった。今日の目標は今まで行き残したところを潰していくことだ。
 友人に別れを告げ、まずは2度も敗れ去った姉川古戦場へと向かう。国友で購入した本がここでも役に立ち、十分な情報収集をすることができた。ほんまにあの本には助けられた。衝動買いやったけど、いい判断やったね。
 姉川古戦場碑のある場所は、北国脇往還のすぐ近くで、そんなに目立たない場所ではなかった。つまりは、自分と地図のプロッティングが、見当違いのコラボレーションを見せて、2度も失敗したわけや。地図が間違ってることもあるということは今後の教訓になるやろう。
 姉川でリベンジに成功し、時間切れで行けなかった彦根城博物館に寄る途中で横山城を探そうと思っていると、石田という地名に出くわした。もしやという思いで町内の案内図を見てみると、やはり石田三成の出身地のようだ。今日はなかなかいい展開になってるなと思いながら三成の出生地を訪ね、その後ですぐ東の横山城へ向かった。
 横山城は対浅井戦で秀吉が足掛け3年に渡って詰めていた城だ。今まで行ってみたかったが、大体の場所を把握できるだけで、地図にも載っていなかったので、場所を確定できていなかった。今回も時間があれば探そうかと思っていたが、国友で買った本がここでも決定的な働きを見せてくれ、ようやく場所を特定できた。城には小さな駐車場があって、そこにバイクを止めて麓から急峻な山道を登った。頂上は意外と平坦な部分が多く、小谷城の付城だっただけあって、琵琶湖と湖北の景色がよく見える。井戸のあった郭まで行き、次の郭までは下っていきそうだったので本丸と判断して引き換えしたが、駐車場に戻って全体図を見てみると、もしかしたら本丸まで行ってなかったかもしれない。その辺は図からだけでははっきりせんので、またじっくりと行かんとあかんね。
 県道から国道21号線に入り、彦根に戻って彦根城博物館に寄った。ここは江戸時代に政庁機能があった御殿を復元したもので、中には井伊家所蔵の品々や能舞台があり、本格書院造の邸宅再現されている。博物館の後は京橋口を出たところにある、夢京橋キャッスルロードをブラブラ。お土産に清酒「大老」や「鬼の左近」なんて渋くてよかったんやけど、バイクに載らないので断念して、ほんとに彦根を後にした。
 彦根から南西に下っていくと、荒神山というのがある。このあたりの地名が山崎といって、近江の豪族山崎氏の本拠だったらしい。信長が上洛する際に従った山崎片家がそうで、その居城山崎山城を探してみた。最初荒神山がそうかと思って入ってみたが、少年自然の家があるだけでそれらしき表示はない。一旦下りて荒神山の周りを走ってみると、すぐ隣にぽっこりとある小山に城があるらしい。水道関係の工事で山には入れなかったが、麓に案内板があったので無事発見できた。
 山崎山城にタッチした感覚で、この9日間にすぐ横を何回も通りながら行かなかった近江八幡に向かう。湖岸道路に一旦出てから、道路の標識に従って左に折れ、近江兄弟社の横を通って、ちょっと迷いながらも八幡市街に到着すると、なんだか警官の姿が多く、交通規制までされている。なぜかと思いながらバイクを止めてウロウロしてみると、どうやら火事があったらしい。そのせいで周辺がだいぶ渋滞していたようだ。城に行こうとしたが、ロープウェイが出ていたのでひとりで乗る気がせず、八幡堀を散策してから郷土館と歴史民俗資料館が併設されている市立資料館と共通券で入れる八幡商人の商家を見学した。城はまた今度の機会にしよう。
 近江八幡からは、来た道を戻って再び湖岸道路に入り、しばらく淡々と走る。最後に行くのは、近江八幡からほど近く、何回も湖岸道路を走っているときに見かけた石碑だ。大体の場所は覚えているので、その辺りを注意深く観察していると発見できた。しかしコーナーの途中で止めるところがなく、100mほど行ったところで停車し、徒歩で道を渡って石碑に到着した。その石碑には「水茎岡山城」とあり、どうやら戦国初期の城らしい。石碑の横に簡単に伝承が書いてあったが、城がどのような形状であったかなどの図もなく、具体的にどのようであったかはわからなかった。
 水茎岡山城からは湖岸道路を離れ、県道や市道を南へ南へと進んでいくと、名神高速栗東I.C.に着くはずだ。9日間は長いようで短かかったが、またすぐ来ることになるだろう。次の長い旅路の始まりに。
走行距離 258.08km
合計 9日間(実質8日) 1644.16km

No.17
(後編)
No.17
(前)
No.18