武田神社
所在地  山梨県甲府市
JR甲府駅北2.2km県道31号線沿い
最終訪問日  2012/10/14
武田神社の堀に架かる参道の橋と鳥居 甲斐武田氏の信虎、信玄、勝頼が本拠とした躑躅ヶ崎館跡に建立された神社で、祭神は武田信玄。
 躑躅ヶ崎館は、甲斐武田家の内訌を収めた武田信虎が、永正16年(1519)に石和から本拠地を移す為に築いた居館である。ただし、信虎の子で祭神となっている信玄はこの場所で産まれたわけではなく、ちょうど駿河の今川軍が甲斐に侵入していた頃で、信虎夫人は積翠寺かその背後の要害山城に避難しており、そのどちらかで誕生したという。その後、信玄による信虎の追放を経て信玄が武田家全盛期を築き、信玄の子勝頼が天正9年(1581)に新府城へ移るまで62年に渡って躑躅ヶ崎館は本拠であり続けた。
 天正10年(1582)の武田氏の滅亡後、館跡には織田家臣河尻秀隆が入るが、その数ヶ月後には本能寺の変が発生して徳川氏の支配するところとなり、家臣の平岩親吉が甲斐の支配拠点として活用したらしい。同18年(1590)の北条氏の滅亡後には、徳川氏が関東へ移された為、秀吉に近しい一門や家臣が甲斐を任され、この館跡や背後の要害山城を使っていたが、浅野長政・幸長父子が甲府城を完成させると、館跡は主郭部以外はやがて開墾されて田地になっていったようだ。
 神社創建のきっかけは、大正4年の大正天皇即位に際して信玄に従三位が追贈されたことで、県民に尊崇されていた信玄を祀る神社の建立機運が高まり、大正8年に社殿が竣工した。以来、信玄の命日である4月12日に例大祭が行われ、例大祭から発展した、武田二十四将に扮する甲冑武者や姫などが行列で練り歩く信玄公祭りも、同時期に甲府市街で開催されている。
 武田神社は甲府周辺でも最有力の観光スポットで、訪れた時も堀の前の駐車場が一杯になっているほどだった。神社の宝物殿を覗けば、武田軍に翻っていた孫子の兵法を記した旗や、当時使われていた軍扇、甲冑、そして武田二十四将図など、武田氏好きの人には堪らない品々が展示されているほか、信玄夫人が三条家の出であったことから、神社創建を祈念して三条実美から寄贈された同家伝来吉岡一文字という重要文化財指定の刀も展示されている。また、躑躅ヶ崎館の雰囲気も十分に残っており、神社東口には当時の館大手が部分的に復元されていて、当時の様子を知ることが出来るようになっていた。ちなみに、神社南の橋の部分は創建時に新たに通された部分で、旧状とは違っているのだが、神社が丘陵地にあるので、神社まで続く一直線の道と甲府市街までを望めるこの場所からの景色は、なかなかのものである。