長府博物館
所在地  山口県下関市
JR長府駅西南3km功山寺内
最終訪問日  2002/12/7
 功山寺に隣接して建っている博物館で、主に中世から近世にかけての長府に関する資料を展示している。
 この長府博物館の前身は、昭和8年10月に桂弥一が創立した長門尊攘堂で、尊王精神の高揚が目的だったという。
 そもそも尊攘堂とは、幕末長州の尊皇攘夷の志士達の師である吉田松陰が考えていたもので、古今の勤王の人物を祀り、有為の志を集めて身分の上下無く人々に尊皇攘夷思想を教育する機関であった。だが、松陰の手で建設することは叶わず、松陰は死の直前に門下生四天王のひとりに目された入江九一に対して手紙で建設を託したが、その九一も元治元年(1864)の蛤御門の変で戦死し、尊攘堂のことは忘れ去られてしまう。その後、同じく松陰の門下生だった品川弥二郎がこの事を偶然知り、明治20年に京都で別邸を購入して敷地内に尊攘堂を建立した。これが京都の尊攘堂で、弥二郎は幕末から維新にかけて散っていった志士たちを祀り、毎年祭祀を続けていたという。ちなみに、明治33年の弥二郎の死後、収蔵物は京都帝国大学に寄贈され、同36年に新たに建てられた尊攘堂が、今も京大に残っている。
 長門尊攘堂は、弥二郎と親しかった弥一が弥二郎から委嘱され、旧藩主である毛利家の援助や有志の支援を受けつつ、弥一自身の私財をも投じて建設したものである。戦後には財団法人化されて長府博物館となり、昭和55年4月1日からは下関市に移譲されて現在の下関市立長府博物館となった。
 展示内容からすると博物館というより歴史資料館という感じで、中世からの権力者による沙汰状や、古地図の展示が多い。また、長府藩歴代藩主の紹介や、長府藩に関連する焼き物、絵画などの美術品の展示物も多いのが特徴。中には、幕末に使われた砲台等も展示してあり、狭いながらも整理されていて見やすい展示内容となっている。