湯浅城 所在地 和歌山県湯浅町
JR湯浅駅北東1.5km国民宿舎湯浅城南すぐ
区分 山城
最終訪問日 2003/4/26
 遠くからでもはっきりと分かる、城の形をした国民宿舎湯浅城の南側にあり、平安末期の康治2年(1143)に湯浅党の祖となる湯浅宗重が築城して広保山城から移ったとされる。
 湯浅氏は平家の有力御家人だったが、鎌倉幕府成立後は所領を安堵されて幕府の御家人となり、湯浅党と呼ばれる武士団を形成した。その当時、自ら藤原秀郷流と称していたらしいが、清和源氏、桓武平氏、紀国造などの説もあり、出自ははっきりとしていない。
 南北朝時代に入ると、湯浅党としての結束は弱まったようで、惣領家は南朝に属して戦ったが、諸流の中には北朝についた者もいたようである。そして、天授5年(1379)に山名義理が湯浅城を落とすと、一族は四散したようで、この時代以降の湯浅氏の動向ははっきりとしない。その後、文安元年(1444)頃、義有王が楠木正秀や楠木正友らとともに八幡城で挙兵するが、この中に湯浅九郎という人物がいたようで、この反乱軍は後に湯浅城に転じて籠城するが、同4年(1447)に紀伊守護畠山持国らによって攻略されてしまい、これ以後は城も湯浅氏も歴史上から姿を消してしまう。
 訪れた時は、国民宿舎入口の案内図に城跡が明記されていたので簡単に見付かったと登山口を探してみたが、周囲にはみかん畑への入口はあるものの、登山道のようなものは見つけられなかった。後で知ったのだが、どうやら遠慮して途中で引き返した民家への道から登って行けるらしい。