真田庵
所在地  和歌山県九度山町
九度山町役場北西500m
最終訪問日  2003/4/27
白亜の塀で囲まれた真田庵 関ヶ原の合戦で西軍につき、中山道を西に向かう徳川秀忠の軍を信州上田で足止めした真田昌幸・幸村父子は戦後、領地を没収されて紀州九度山に幽閉された。その幽閉されていた場所がこの真田庵である。
 昌幸はこの地で没したが、幽閉中の有り余る時間の中で、自身の経験と智謀を幸村に伝えたのだろう。幕府の監視の中では公に語れなかっただろうが、幸村は父から譲り受けた策を胸に大坂城へと脱出し、家康の心胆を震え上がらせて壮絶な最期を遂げた。
 昌幸は、四方が山で囲まれたらひとたまりもない土地と語ったというが、実際に現地を訪れると、川筋に東西に延びる僅かな平野を除けば南北は険しい山塊でどうにもならず、楠木正成が戦ったような山岳ゲリラ戦ぐらいしか防戦する手立てはない土地だ。
 庵は、正式にはイ去羅陀山善名称院といい、幸村退去後は神聖な場所とされていた屋敷跡に、寛保元年(1741)大安上人が地蔵菩薩を本尊として創建した。境内には、幸村が落ちた雷を封じ込めたという伝承がある井戸や、真田の六文銭が彫られた瓦など、庵の辺りの僅かな領域だけは真田一色といった感じで、真田家が好きな人にはたまらないだろう。ただし、庵の周辺は道が細い上に駐車場がなく、バイクはまだしも車の置き場所には困るので、車で行く人は注意が必要。