高野山金剛峰寺
所在地  和歌山県高野町
高野町役場南すぐ国道480号線沿い
最終訪問日  2003/4/27
金剛峰寺の入口 大日如来を絶対真理とする山岳密教として、空海が立教開宗した真言宗のかつての総本山で、本尊は阿閦(アシュク)如来。
 空海が高野山開創の勅許を得たのは弘仁7年(816)で、伽藍の建立が始まったのは同10年(819)からという。空海が承和2年(835)に奥の院に入定した後は、内的には数度の落雷や根来寺の分派などがあり、外的には膨大な寺領を背景とした勢力の大きさに対する警戒感から時の権力者と対立したり、また、逆に復興の援助があったりと、歴史が古いだけに時代によって盛衰はあったが、現在まで脈々と伽藍は受け継がれている。ちなみに、堂塔寺院は明治期に600以上あったが、明治24年に130ヶ寺に統合され、現在は金剛峰寺を除いて117ヶ寺という。
 平安中期以降は祈祷や護摩行が盛んになり、宗教としての発展は鎌倉期に勃興した新仏教に道を譲った格好になるが、それら新仏教の開祖である法然や日蓮も、一時ではあるが高野山で修行していることは見逃せない。真言宗としては、伝統を持つ大きな組織に付き纏う話だが、東寺と金剛峰寺の対立や、前述のように古義派と新義派との対立から根来寺が分派するといった対立の歴史があり、やがて近代には大真言宗としてまとまるものの、すぐに分離独立が相次ぐ。そのような流れもあり、高野山も正式に高野山真言宗として昭和21年から独立した宗派を名乗っている。
空海が入定したとされる奥の院 現地に立ち寄ってみると、弘法大師が入定して信仰の中心となっている奥の院と、真言宗の総本山である金剛峰寺が、駐車場も近くてお参りしやすい。ただし、この金剛峰寺の建物は、秀吉が命じて建立させた青厳寺の建物を明治以降に金剛峰寺と呼ぶようになったもので、元来は一山全体が金剛峰寺である。
 奥の院に続く参道沿いには、圧倒されるほどの墓石の数があるが、中でも有力な企業が殉職した従業員を祀る為に用意したものや、財力のある家の墓などは、規模も大きく目を引く。各墓や供養塔を見ると、歴史が凝縮されているようでなかなか面白い。