内山城 所在地 富山県黒部市
富山地方鉄道愛本駅後背
区分
最終訪問日 2017/5/21
 越中守護であった井上俊清が松倉城を追われた後、籠もった城。
 井上氏の来歴は不明だが、鎌倉時代末期には俊清は越中の有力武将になっていたようで、新川郡の又守護代を務めていたともいい、越中守護で名越流北条氏の北条時有討伐に功を挙げ、建武政権期に越中守護となった。その後、尊氏に味方して武家方として活動したが、康永3年(1344)に守護職を罷免されてしまっている。これに不満を持った俊清が南朝方に寝返った為、新たに守護となった桃井直常と能登守護であった吉見頼隆に討伐が命じられたが、俊清は南朝方の武将と連携し、争いは数年間に渡って続いたようだ。
 俊清は、貞和2年(1346)3月に能登木尾嶽城で南朝方の武将新田貞員、栗澤政景、冨来俊行と共に籠城していることが見えるが、5月に城は落ち、俊清は松倉城へ退いた。そして、その年の閏9月に俊清は降伏しているが、翌年には再挙兵したようで、再び頼隆や越中守護桃井直常が俊清討伐を行っている。しかし、松倉城は天険の堅城で、ようやく同4年(1348)10月になって松倉城が落ち、俊清はこの内山城に逃れて本拠にしたという。
 ただ、その後の城の事跡は知れない。直後の観応元年(1350)から起こった観応の擾乱において、直義に味方した直常に対し、俊清は尊氏方として越中守護に復帰しているが、直常が松倉城を失陥した様子は見えず、また、後には両者は協力関係となった為、俊清は内山城を本拠とし続けたのではないだろうか。延文4年(1359)に俊清が吉見勢に敗れて越後に追われて以降は、城は史料に登場せず、廃城がいつ頃だったのかもよく分からなかった。
 城は、宇奈月温泉への入口に当たる富山地方鉄道愛本駅の後背にあるようだ。しかし、周囲の細い道や林道を走り回っても、案内板の類は見当たらなかった。俊清が松倉城から移って築いた城だが、見たところ、比高は松倉城より低く、松倉城に比べると峻険さはそれほどでもない城のようだ。