天神山城 所在地 富山県魚津市
北陸道魚津I.C.北東2km
区分 山城
最終訪問日 2001/9/17
通信鉄塔の建つ本丸跡 標高163mの頂上部に2ヶ所の削平地が設けられた、比較的小規模な山城。
 史料に初めて見えるのは元亀3年(1572)だが、一説には、まだ長尾景虎と名乗っていた頃の上杉謙信が天文23年(1554)に築城したといい、後には上杉方の越中における重要な中継拠点となったようだ。
 天正10年(1582)の織田軍の侵攻による魚津城の戦いの際には、後詰めで出陣してきた上杉景勝がここに陣を敷いているが、この頃の魚津城はすでに城内まで侵入を許した末期的状況であった。その上、信濃や上野からも織田軍が越後に侵攻するという情報があり、決死の覚悟で出陣してきた景勝も帰国せざるを得なくなった為、松倉城を守っていた須田満親と合流し、5月末には陣を畳んで帰国した。これにより、本能寺の変の翌日にあたる6月3日、約3ヶ月の籠城むなしく、後詰を失って孤立した魚津城は陥落した。
 天神山城は、景勝の撤退によって織田軍が接収したと思われるが、本能寺の変によって織田軍が撤退した為、再び上杉軍の手に戻ったと思われる。その後、佐々成政が越中を制したのだが、いつ頃まで城が使用されていたのかは定かではない。現地には、2段の削平地の付近に土塁跡と見られる土盛りなどがあったが、道路や鉄塔ができている為か、案内板にあった帯郭や空堀、竪堀などはよく判らなかった。
 天神山の頂上付近からは、倭国大乱に関係すると見られる弥生時代の遺物も発見される事から、その当時も城砦として使用されたと考えられ、地形上の立地の重要さは時代を経ても変わってなかったのだろう。現在は中腹に魚津市の歴史民俗資料館があり、本丸跡には通信鉄塔が建っている。