亀山城 所在地 鳥取県関金町
関金温泉街後背亀井公園周辺
区分 平山城
最終訪問日 2001/10/26
朽ちて半分読めない説明板 関金温泉の後背から張り出した、標高数10m程度の峰の突端部にある。城跡の公園が亀井公園という名前なっていることから亀井城や、関金温泉の古名湯の関から湯関城と呼ばれることもある。
 現地の案内板は左の写真のように全文が読めない状態であったが、読める部分を拾っていくと、亀山城は古城跡図志に湯の関村の古城という名で載っていたとあり、さらに山名小太郎が居住したとある。もともと関金という地名は、湯の関村と金谷村から字を取ったものらしいので、案内板の湯の関村の古城というのはよく解る。一方、住んでいたという山名小太郎なる人物は、当然のことながら伯耆守護であった山名氏の一族と思われるが、山名氏の祖重国が小太郎を名乗っている関係からか、小太郎と名乗る山名一族が多く、城主であった山名小太郎が誰に比定されるかは分からなかった。また、案内板には倉吉の三明寺に墓碑があるということも書いてあるが、これは現地を訪れていないのでなんとも言えない。
 城は、その後の尼子氏による大永4年(1524)の大永の五月崩れと呼ばれる電撃戦によって落城したとされ、その後どうなったかはっきりしない。ただ、近年では尼子氏は山名氏の権力争いに乗じて伯耆に勢力を浸透させていったというのが有力で、大永の五月崩れのような電撃戦はなかったらしく、亀山城の落城も大永4年でなかった可能性が高い。
 現在は公園として整備されているが、頂上付近のいくつかの平坦地が郭であったかと疑わせる程度で、明確に残っている井戸以外には城跡であったと思しき遺構はない。この井戸を見た後、もしかすると残っているのが亀山城の井戸というところから亀井公園という名前になったのかもしれないなと思いつつ、展望台に登って関金市街を見渡したが、秋晴れの日というのもあって気持ちの良い景色だった。公園内には、本丸跡と思われる頂上部に城の形をしたこの展望台がある他は、5万本のツツジが植えられており、春にはつつじ温泉まつりの開催地となるように、温泉街のちょっとした憩いの場となっている。