井の頭恩賜公園
所在地  東京都三鷹市・武蔵野市
京王井の頭線井の頭駅西側すぐ
最終訪問日  2012/10/13
井の頭池に架かる七井橋の夜景 井の頭池を中心とした都立公園で、大正6年5月1日に開園した。面積は386711.18m2
 井の頭という名前が付いたのは江戸時代だが、それまでも貴重な水源のある場所として古代からこの付近に人が住んでいたようだ。時代が下った天正18年(1590)、徳川家康が江戸城に入城し、本格的に城下町の造成に取り掛かったが、海に近い為に真水が満足に得られない江戸では、多くの人が生活する上で当面の問題となるのは飲料水であった。そこで家康は、井の頭池の湧水を調査し、飲料水に使える水であることが判ると、井の頭池のほか、善福寺池、妙正寺池を水源とする神田川上水の整備を命じ、井の頭池は江戸城下町の水瓶のひとつとなったのである。また、このような繋がりから、弁財天は江戸町民に信仰され、井の頭池付近は行楽地にもなっていった。
 その一方で、公園内の御殿山は、3代将軍家光が鷹狩りを行った際の宿所としたことからそう呼ばれるようになった場所であり、三鷹の地名の由来も、御鷹や三領の鷹場に通じるように、周辺一帯が将軍家や御三家の鷹狩場であったことからの地名である。このように、井の頭池付近は、将軍も町人も親しんだ江戸有数の娯楽地帯であった。ちなみに、3代将軍家光は特にこの池を愛し、一般には家光が井の頭の名前を名付けたといわれている。ただ、その名の由来にはいくつかの説があるようだ。
 井の頭池一帯の自然林は、江戸時代は幕府の御用林として保護され、明治時代になると東京府の所有を経て池と共に皇室御料地となっていた。その後、大正2年に東京市に下賜されて恩賜公園となり、隣接地の買収や寄付で範囲を拡げ、今のような市民の身近なレジャーの場となっていったのである。昭和の初め頃には水泳場まで開設されていたというから、娯楽の少なかった時代には本当に身近なレジャーの場として親しまれたのだろう。
 現在は、俗に井の頭公園と呼ばれ、東側の井の頭池と御殿山のエリア、北西の井の頭自然文化園のエリア、南西側の西園及び第二園のエリアという、大きく3つの部分に分かれている。自然文化園には、北西側エリアに動物園や彫刻園があるほか、池端という性格を生かして、井の頭池の三又となった間の部分に水生物園というのも設けられており、昔は身近に居たであろう淡水性水生物が展示されているようだ。規模は小さいかもしれないが、安く動物園と水族館が楽しめるのは魅力かもしれない。南西側エリアは近代的都市公園で、地元の人の為のテニスコートや競技場があるが、三鷹の森ジブリ美術館が建てられたことにより、現在は観光客も多いエリアとなっている。
 訪れた時は夜だったが、帰宅する人、ジョギングをする人、酒盛りをしている人、ベンチでまったりと話し込んでいる人達など、時間の割に公園内に人はとても多く、思い思いの過ごした方で公園を満喫していた。また、昼間にはパフォーマーも結構いるらしい。夜ということもあって、七井橋がライトアップされて水面に映え、とても綺麗だったが、この七井という名は7つの湧水口があったことからの名という。普段は気にする人も少ないのだろうが、歴史のある公園だけにいろんな所に事跡や伝承が隠れているものである。