宍喰城 所在地 徳島県海陽町
区分
最終訪問日 2004/9/9
 別名は愛宕城で、地元ではこちらの名のほうが通っているようだが、宍喰城のほうが地元以外には分かりやすいと思われる。ただし、史料に出てくる宍喰城はこの愛宕城を指すのか、それとも市街北西にある鈴ヶ峰にあったという城砦を指すのかはちょっと分からない。
 元亀2年(1571)、長宗我部元親の弟島弥九郎親益が有馬へ療養に向かう途上、風浪を避けて停泊した海部で三好家臣海部友光に襲撃され、郎党30名共々全滅したという出来事が元親の阿波侵攻の端緒になるが、この宍喰が東方面の侵攻ルート上の最初の地点であった。天正3年(1575)に宍喰へ侵入した長宗我部軍は瞬く間に宍喰、海部を席巻し、弟香宗我部親秦を海部に置いて阿波攻略に当たらせたという。
 訪れた時は、国道沿いに宍喰城の案内表示を探したが見つからず、市街地の中にも見当たらなかった。地図上に城跡のマークがある場合はおおよその位置が掴めるが、名前を知っているだけという場合はひたすら探すことになり、なかなか難しい。