日和佐城 所在地 徳島県美波町
JR日和佐駅東550m
区分 山城
最終訪問日 2004/9/9
日和佐城の模擬天守 日和佐城は、長宗我部元親の阿波侵入に対する防塁として日和佐肥前守が築いたとされるが、その規模は小さかったようだ。元亀年間(1570-73)、もしくは天正年間(1573-93.1)初期に築城され、史料には3段の郭があったと記されている。
 日和佐の土豪日和佐氏は、三好方として長宗我部軍と対峙したが、天正5年(1577)11月に香宗我部親秦に降り、後には元親から領地を安堵された。だが、元親が四国をほぼ統一した天正13年(1585)に秀吉による四国征伐が始まり、結局長宗我部氏は土佐一国の主に戻されてしまう。そして、長宗我部氏に代わって阿波に入封した蜂須賀氏は、阿波国内に9つの支城を整備し、日和佐城は廃城となった。
 日和佐の城主となっていた肥前守の弟権正は、後に元親に請われて土佐へと移り住み、名乗りを浜に変えたが、徳島藩主であった蜂須賀家政が帰国を望んだ為、再び日和佐に帰り、士分に取り立てられたという。
 城は、日和佐川と奥潟川が合流して海へ注ぐところにあり、50〜60mほどの山にある。日和佐の小さな市街地に来ると、海側に大きな白亜の天守が建っているので分かりやすい。この天守は、日和佐勤労者野外活動施設として建てられたもので、むろん歴史上の日和佐城とは全く関係ない模擬天守であるが、恐らくこの建物のある場所が本丸と思われる。また、この天守から少し下がって駐車場となっている平坦地があるが、もしかしたらここが二ノ丸だったのだろうか。もともと小城で廃城時期も早く、模擬天守造営で人手が入っている為、どこまでが城域か判らず、遺構と思われるものも見当たらなかった。