二荒山神社
所在地  栃木県日光市
東武鉄道東武日光駅北西2.4km
最終訪問日  2014/5/10
二荒山神社の鳥居と参道 所謂、別表神社のひとつ。二荒山神社というのは日光以外に宇都宮にもある為、区別して日光二荒山神社ともいい、古くは北西の滝尾神社と南東の本宮神社を合わせて日光三社権現とも呼んだ。また、下野国一宮とされるが、延喜式に二荒山神社とのみある為、宇都宮か日光かで議論がある。
 霊場としての日光の創始は、勝道上人が紫雲立寺を天平神護2年(766)に創建したことによってで、二荒山神社自体は、翌神護慶雲元年(767)に二荒山(男体山)の神を祀る祠を建てたことに始まるという。勝道上人は下野の人で、若くして山岳修行を行った人物であった。その修行の場として選んだ日光だが、日光連山では古代の祭祀の痕跡も発見されているように、かなり古くから信仰対象であったことが裏付けられており、紫雲立寺創建の翌年に早くも祠を建てたということは、地元の人間として古代から二荒山が神聖な神の山として祀られていた事を勝道上人も当然のように知っていたのだろう。このように、日光は山岳仏教、修験道、そして古代の自然崇拝が濃密に習合した霊場であった。
 二荒山神社の祭神は、日光三山を御神体とし、男体山を大国主命である大己貴命、女峰山を田心姫命、太郎山を味耜高彦根命として3柱を祀っている。この3柱は総称して二荒山大神と呼ばれており、古代の日光連山の自然崇拝からやがて男神、女神、子神として分かれ、更にそれぞれに神話の神が当てはめられたものだろうか。ちなみに、二荒山については、仏教の補陀洛(フダラク)山が由来という説、アイヌ語が由来という説など、諸説あるのだが、有力とされるほどの説は無いようだ。
 神社創建当初は、現在の本宮神社の位置にあったとされ、嘉祥3年(850)に現在地付近に遷座し、更に日光東照宮建立に伴って現在の場所へ移り、合わせて社殿なども一新された。現在の本社社殿はこの時に造営されたものである。また、本社の他に、中禅寺湖畔に延暦3年(784)建立の中宮祠を、男体山山頂に天応2年(784)建立の奥宮を持ち、日光連山やいろは坂を含む境内地は3400haに及ぶ。
二荒山神社拝殿 平成11年に日光の社寺として世界遺産に登録された事もあって、隣の日光東照宮と比べられがちで、地味な印象はあるのだが、華美な東照宮と対照的に静かに鎮まる様は、神社らしく落ち着きがあって良かった。また、参道や杜の木々が立派で、歴史の積み重なりを感じることができる。外国人はともかく、女性の観光客が割と多かったのが意外だったが、パワースポットや縁結びの神としてよく紹介されているらしい。自分はそういうことにはあまり興味は無いのだが、深い木立の中に凛と鎮座する社殿を見ると、何らかの力を持っているというのは確かに説得力があるように感じられた。