山中城 所在地 静岡県三島市
三島市役所北東8.1km国道1号線沿い
区分 山城
最終訪問日 2013/10/14
山中城縄張図 北条流築城術がこれでもかというぐらい見られる山城。箱根路の防衛拠点であった。
 山中城の築城は、永禄年間(1558-70)とされるが、天文23年(1554)に甲相駿三国同盟の一角として北条氏康の娘が今川義元の嫡子氏真に嫁いでいる為、伊豆と駿河の間は安定しており、わざわざ新城を築いて防備を厚くする理由が見当たらない。その後、永禄11年(1568)に武田信玄が駿河へ侵攻し、三国同盟は崩壊してしまうが、この武田氏と北条氏の対立が明確となった時点が、本格的な築城の始まりだったと思われる。ただ、足柄城でも見られるような、街道と関所機能を取り込んだ城郭というのは北条氏の特徴で、三国同盟崩壊以前から街道整備の一環として砦程度の城郭はあったのかもしれない。
 氏康の死後、北条家は機能不全に陥っていた上杉家との同盟を破棄して再び武田家と結び、小田原西方は安定するが、やがて信玄の跡を継いだ勝頼が上杉家の家督争いである御館の乱で上杉景勝に与したことから、再び両家は対立した。この時の両者の最前線は、沼津の三枚橋城と清水の戸倉城で、そこから10kmほど離れた山中城が、重要な連携拠点であったのは間違いないだろう。天正9年(1581)には戸倉城の笠原政堯が武田家へ城ごと寝返っており、以降はより重要性が増したと思われる。
山中城の特徴として有名な障子堀 この翌年、武田家が織田徳川連合軍の侵攻で滅亡し、直後に本能寺の変で信長が横死するという環境の激変があったが、北条家はこの時、家康と旧武田領を取り合い、結果的に駿河を徳川領として和睦し、婚姻を結んだ。これにより、伊豆と駿河の国境は平穏となったが、それも束の間、天正17年(1589)頃に秀吉との関係が悪化すると、小田原西方の重要拠点として城の大規模な改修工事が始められている。この工事は、翌年の小田原の役直前まで断続的に続けられたが、攻撃を受けた段階ではまだ未完成の部分もあった。
 このように防衛拠点として非常に重視された山中城であったが、小田原の役では、山中城は韮山城と共に秀吉軍主力の最初の目標となり、3月29日に攻撃が行われ、僅か半日で落城してしまう。籠城兵力は4千といわれるが、約7万もの秀吉軍相手では衆寡敵せず、城主松田康長と岱崎出丸を守っていた城将間宮康俊が討死し、援軍として籠もっていた北条氏勝も居城玉縄城へと落ち延びたのだった。だが、圧倒的だった攻城軍でも、大名である一柳直末が討死するといった損害が出ており、城方の奮戦と戦闘の激しさが窺える。山中城攻略後は、秀吉軍は僅か数日で小田原城に達しており、ここから約3ヶ月に渡る籠城戦が開始されるのだが、山中城は峠の防衛拠点ということで顧みられず、そのまま廃城となった。
 城の構造は、城内最高部である天守台を持つ本丸の北西側に高度第2位の北ノ丸を置き、本丸の西側には二ノ丸、元西櫓、西ノ丸、西櫓といった郭群と空堀が設けられ、先端は西木戸で城外と区画している。また、二ノ丸の南側には、水の手となる2つの池を挟んで宗閑寺などがある三ノ丸が続き、国道を挟んだ南に巨大な岱崎出丸があった。岱崎出丸には、御馬場郭、擂鉢郭とそれに付随する武者溜などがあるほか、構築途中で放棄された郭もあり、当時の逼迫した状況を窺い知ることができる。
岱崎出丸から愛鷹山と駿河湾 山中城全体で大きく見てみると、本丸と北ノ丸、二ノ丸を中心に、そこから伸びる2つの尾根筋に削平や盛り土によって郭群を構築した城と見ることができるだろうか。秀吉の侵攻に備えて拡張されたのが西ノ丸や岱崎出丸とされ、根本の城郭は本丸から三ノ丸と北ノ丸程度の範囲だったと思われることから、当初は南北の尾根筋を城郭の中心として西への備えは二ノ丸及び馬出しとしての元西櫓が担い、三ノ丸には関所の機能があったのだろう。とは言え、この範囲だけでも山城としては決して小さくはない。また、西ノ丸や岱崎出丸付近の拡張部では、造成時期である最末期の北条流築城術が見られ、深く急峻な空堀に畝を残した畝堀や障子堀が非常に綺麗に残っている。
 土の城というのは北条氏の城の基本であるが、現地を散策してみると、土だけでこれほどのものを構築したという土木技術の凄さは一目瞭然で、感動すら覚えるほどだ。高楼の類があったとされる天守櫓の基壇すら土である事を考えると、それは相当徹底されており、同じ北条氏の末期の城である八王子城の根小屋付近から感じられる近世的イメージとは全く違う。山中城の特徴としては、はっきりとした畝堀や障子堀が取り上げられるが、史料的な価値の高さ以前に、現地で見ると圧倒的な迫力と美しさがある。軍事拠点という現実的な機能を追い求めた結果、機能美が宿ったというところだろうか。障子堀以外にも、本丸堀や北ノ丸堀、三ノ丸堀、岱崎出丸一ノ堀など、長大で見惚れるような堀が多く、是非とも現地で堪能して欲しい城である。