所在地  静岡県静岡市清水区
清水区役所南東3.8km三保半島東岸
最終訪問日  2016/5/22
三保の松原と霞む富士山 富士山の風景で有名な景勝地。国指定の名勝であり、富士山と共にその構成要素として世界文化遺産に登録されている。ちみなに、一般に三保の松原と表記されるが、公式には三保松原と書く。
 三保の松原のある三保半島は、地図で見るとよく解るが、北海道の野付半島と同じく非常に綺麗な形をした砂嘴で、正確に言えば両者共に先が幾つかに分かれた分岐砂嘴である。その元となる砂礫は、かつては別々だった安倍川と藁科川が運ぶ土砂と、日本平のある有度山の南麓を波が洗うことによって供給されていた。しかし、近年の砂防工事などで河川から供給される土砂が減った為、海浜の縮減が常に懸念されているという。
 三保半島は、太平洋に面していることから激しい風雨に晒される為、広葉樹は根付かず、痩せた土地で風浪にも耐え得る松のみが残った結果、松林が形成された。江戸時代頃の絵図を見ると、半島全体が松林として描かれていることから、当時は松が半島全体を覆っていたことが窺えるが、これは御穂神社境内の禁足地だったという理由もあったようだ。しかし、明治以降は周辺の開発や松根油の採取によって当時の10万本前後という数から漸減し、現在では約3万本程度にまで減ってしまっているという。
 三保の松原には、羽衣の松という木があり、その名の通り羽衣伝説がある。伝説の内容は、地上に遊びに来た天女が松に羽衣を掛け、通りかがった漁師が羽衣を持ち帰ろうとすると、天女が返すよう願うという、各地の羽衣伝説と違いはないのだが、三保の羽衣の松は御穂神社の御神体という所がやや特徴的だろうか。羽衣の松は、かつて松原全体を境内としていた御穂神社の祭神である大己貴命と三穂津姫命の依代になるとされ、そこから神社までの松並木を、神様が神社まで通る道として神の道と呼んでいる。このように大きな社を持つ神社にまで天女伝説が昇華されたのは、源流として海や砂嘴に対する素朴な土俗信仰があったものと思われ、時代を経て伝説や神社という形になったのだろう。ちなみに、今の天女の松は3代目で、初代は宝永4年(1707)の富士山の宝永大噴火で沈み、2代目は平成22年に立ち枯れで役目を終えた。
現在の羽衣の松 訪れたのが春の早朝だった為か、富士山は霞んで僅かにシルエットを覗かせるだけだったが、それでも長大な海岸線に緑の帯として茂る松、そして海の青と後ろに聳え立つ富士山という風景は、それぞれが絶妙に調和した絶景である。また、自分が訪れた時にはほぼ無かったが、富士山頂に雪の残る季節に訪れた方が、より色の調和が楽しめて良いのだろう。ただ、さすがの絶景とは言え、もちろん運不運もあるのだが、天候も快晴だっただけに富士山の存在感が薄かったのだけが、自分としては心残りだった。