白山城 所在地 静岡県森町
森町役場北東2.4km谷本神社後背
区分 山城
最終訪問日 2016/5/21
白山城本丸 天方九ヶ村を領した天方氏の城。
 天方を含む飯田荘は、鎌倉時代より首藤山内氏が地頭を務め、その庶流が天方に土着し、地名を姓とした。その時期は、14世紀後半頃という。天方氏は、当初は白山城から三倉川を挟んだ北向かいの天方本城を居城としていたのだが、5代通季の頃である文亀元年(1501)に遠江を巡って遠江守護斯波義寛とかつての守護家である今川氏親の間で争いがあり、義寛の要請で侵攻してきた信濃守護小笠原貞朝の軍に奪われてしまった。この時、通季は今川勢と合力して籠城する小笠原勢を攻撃し、城を奪回したのだが、通季はより堅固な城の必要性を感じ、新たに築城したのがこの白山城である。
 ただ、白山城の事跡自体は全く不明と言っていいほどで、その北麓の台地が城代の屋敷であったという伝承が伝わってはいるものの、通季以降の本城であったのか、麓に屋敷を持つ城代が管理していた城なのかなど、どのように城が使われていたのかというのはほとんど判っていない。天方本城に代わって築城されたという伝承が本当なら、文亀年間(1501-04)か永正年間(1504-21)の初め頃に築城され、天方新城が築かれたとされる永禄11年(1568)頃まで本拠として機能したということになる。
本丸と思われる細長い頂上部 城へは、谷本神社の西側から獣道のような登山道が出ており、麓からの取り付きは竹藪を直登するような形となるが、尾根筋に入れば、シダ系の植物が生えているのみで藪は浅く、傾斜も比較的緩やかで歩き易かった。谷本神社から頂上へ向かう北西方向の尾根筋には、最高部の本丸の直下の段から数えて9段もの段郭があり、途中には谷本神社の背後へと伸びる明確な竪堀も確認できる。この竪堀が段郭と交差する所はやや崩れているが、往時はもっと明確な堀切で、竪堀へと繋がる尾根筋の遮断ラインだったのではないだろうか。本丸は、南東から北西に伸びる頂上部の細長い郭で、その中ほどから南西方向に直交する次段があり、広さから考えても、このT字となっている2郭が主郭だったと思われる。本丸北西側は、主郭から土橋を挟んだ先に削平地があり、その直下の堀切を経た先にも削平地が確認できた。ただ、その先にも武者走りのような形で平坦な細い地形が続いていたものの、ここから先には明確な遺構らしきものは見当たらず、城外との区切りは不明確である。築城背景を考えると、この先にも更に遺構が続くというほど大きな城とは考えにくく、最後の明確な削平地の辺りが、城の境目ではないだろうか。
南尾根の明確な堀切 城全体としては、あくまで詰城の範疇を出ない中世的な山城で、郭の広さを考えても平時に居住する城ではなかったと思われる。ただ、段郭を始めとする遺構の保存状態は良好で、それなりに見応えのある城ではあった。
 登山道の目印となる谷本神社は、県道沿いで場所が分かり易く、駐車スペースもある為、訪問するには非常に有り難い。城へは、麓からすべて徒歩で登るということにはなるが、城域内の道は下草も僅かで歩き易く、直登だからと構える必要もなかった。マイナーながら登って損はしない城である。