山吹城 所在地 島根県大田市
石見銀山すぐ
区分 山城
最終訪問日 2001/10/27
城跡にある案内板 石見銀山の押さえとして築かれた城で、石見銀山と共に毛利、尼子、大内、小笠原諸氏の争奪の的となった。
 石見銀山の本格的な開発は、博多の商人神屋寿禎によって大永6年(1526)から開始されたが、博多は大内氏と貿易で繋がりが深く、開発には大内氏の支援があったと思われる。だが、享禄4年(1531)頃には川本の豪族小笠原氏が領有したという。
 最初、銀山の押さえとしては南西の矢滝山に城があったが、銀山争奪の動きが強まる中で、大内義隆が銀山を確保した天文2年(1533)頃、銀山のすぐ近くの山に新たに築城した。それが山吹城である。
 銀山の争奪戦は永禄5年(1562)まで32年間も続き、中でも尼子方が攻撃し毛利方が守った永禄元年(1557)7月の戦いと、攻守を入れ替えて尼子方の守将本城常光を毛利軍が攻めた永禄3年(1559)夏の戦いは、激戦として有名である。
 城は標高416mの頂上に南北52m東西33mの本丸を置き、北に四段、南に三段の郭があり、南側には幅10m深さ2mの堀切もしっかり確認できる。他には北側の麓に石垣、南側中腹には出丸らしき平坦地があって、城の規模としてはなかなか大きく、諸勢力にとってどけだけ重要であったかが窺える。廃城時期は不明だが、秀吉と毛利氏が共同管理を始めた天正13年(1585)から、家康が直轄化した慶長5年(1600)前後までだろう。
 登山道は銀山跡の近くから出ており、その大半は勾配の急な階段で、休憩するベンチなどもなく、登るには気合が必要だが、本丸付近から見下ろせる、石見銀山を含めた周辺眺望はかなり良い。ただし、登る途中には野生の猿の群れがいたので、そこは注意が必要。