森鴎外旧宅
所在地  島根県津和野市
津和野町役場西南1.2km
最終訪問日  2001/10/28
森鴎外が少年期を過ごした旧宅 森鴎外が少年時代を過ごした旧宅で、国指定史跡。ちなみに鴎の正確な字は、区が區となる。
 鴎外は、文久2年(1862)1月19日に津和野藩御典医森静泰の嫡子として生まれ、本名を林太郎といい、この旧宅では10歳まで過ごしたという。
 その後、明治5年に上京して進文学舎でドイツ語を習い、東大医学部を卒業して陸軍軍医となった。軍では、ドイツ留学や小倉への左遷を経て、最終的にはトップの地位である陸軍軍医総監となっているが、脚気の伝染病説を唱えて陸軍兵士に白米を供給した為、ビタミンB1の不足によって日清戦争では約4千名、日露戦争では約2万8千名もの脚気による死者を出している。医学が未発達の時代で、鴎外にすべての責任があるわけではないだろうが、その重大な原因を作ったひとりなのは間違いない。
 鴎外にとって本業は軍医で、文筆業はいわば副業だったが、現代の人にとって鴎外のイメージが文豪であるというのは間違いないだろう。前述の脚気の話も意外と知られていないが、文学での名が高い為かと思われる。小説家としての活動は、ドイツ留学より帰国してから本格的な執筆を始め、小説「舞姫」や翻訳「即興詩人」を発表し、やがて史伝や歴史小説を著した。
 大正11年7月9日に60歳で没し、東京に埋葬されたが、現在はこの津和野町にも墓があるらしい。旧宅は、鯉が泳ぐ津和野の町の、西南の端のほうにあって、当時の武家屋敷の雰囲気を色濃く残している。入場料100円を隣の土産物屋に払って入るのだが、店のおばさんに観光気分を台無しにされたので、入らずに立ち去った。津和野の町の雰囲気は抜群だっただけに、その商売根性丸出しの応対だけが非常に残念に思える。