松江城 所在地 島根県松江市
JR松江駅北西1.5km島根県庁北すぐ
区分 平山城
最終訪問日 2001/10/26
全国で6番目に古い松江城天守閣 日本三大湖城のひとつで、天守の現存する12城のひとつ。
 松江城の前身は末次城で、佐々木胤清によって鎌倉時代に築かれたといい、胤清は佐々木という名字から、恐らく出雲守護佐々木氏の傍流であったのだろう。胤清の子孫は末次氏を名乗り、末次城を本拠として続いたが、戦国時代には城主ではなかったようである。また、末次城も最終的には毛利氏の属城となっていたはずだが、松江城が築かれる前まで機能していたかはよく分からない。
 松江城は、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の後、出雲と隠岐に封じられた堀尾吉晴が、この末次城の上に慶長12年(1607)から近世城郭の築城を開始し、同16年(1611)に足掛け5年をかけて完成させたものである。その間、月山富田城で藩主忠氏が逝去した為、吉晴は藩主となった孫の忠晴を補佐していたが、惜しくも落成の直前に死去した。
 堀尾氏は、その3代藩主忠晴が嗣子無く没した為に絶家となり、代わって入部した京極忠高は治水などに尽力するも、これまた僅か3年で病没してしまう。京極氏の後、結城秀康の四男直政が入り、越前松平家は維新までの10代234年の間、栄えた。
二ノ丸下ノ段の石垣 城の天守は、五層六階の望楼式、総入母屋造の本瓦葺で、正面に付櫓があるのが特徴。黒板壁で囲んだ姿は、叩き上げの吉晴が築いただけあって、実に武骨で実践的な構えだ。また、現存する12棟の天守の中では6番目の古さという貴重な建物であり、重要文化財に指定されている。
 城全体としては、天守を中心にそれを囲む二ノ丸、二ノ丸下ノ段が主郭部分で、案内板には主郭内の本丸東部分は中曲輪や腰曲輪とあり、その周囲には後曲輪、外曲輪が描かれていた。この後曲輪と外曲輪は、パンフレットには北ノ丸として総称されているようである。以上が内堀の内側にあり、堀の外には武家屋敷を並べ、南に宍道湖を、東には流れ込む河川群を配して防備を固めた城であった。
 明治8年に主要な建物は取り壊されたが、天守閣だけは旧藩士などの懇請により破却を免れ、現在は残った天守と内郭を中心に史跡公園として整備されており、観光客も多い。城の外には、小泉八雲に関する施設などの観光名所も多く、堀だった河川が入り組んで、街は優美な景観を誇っている。