出雲大社
所在地  島根県大社町
一畑電鉄大社前駅北1km
最終訪問日  2000/6/7
 日本で最も古い伝承を持つ神社のひとつで、古代より出雲一ノ宮であり、現在は、神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつである。
 俗に出雲は神話のふるさとといわれるが、その中心である出雲大社の祭神は、神話で活躍する大国主大神である。日本書紀や古事記によれば、大国主は伊弉諾(イザナギ)から産まれた三貴子のひとり素盞嗚尊(スサノオノミコト)の子か子孫で、素盞嗚尊の後に国作りを行い、国土を開拓して農業や漁業、殖産を人々に伝え、まじないや医薬の道も教えたという。また、ダイコクと読めることから七福神の大黒様と習合し、一般にも馴染みが深い。
 この大国主の説話として有名なのは国譲りである。端的には、大国主が三貴子のひとりである天照大御神に豊葦原瑞穂国を譲ったという話で、天照から産まれた天つ神が地上に降り、やがて天皇家に繋がっていく。このことから、この国譲りの話はヤマト王権成立の過程を象徴した説話ともいわれる。この国譲りの際、大国主が条件として宮殿創建を要求したとされ、天照大御神が大国主の為に造った天日隅宮がこの出雲大社の始めであり、天皇家の祖廟である伊勢神宮よりよほど古い。また、天照大御神の子で大国主に仕えた天穂日命の子孫が宮司である千家氏とされ、元日の新聞には島根県知事と並んで祝賀の挨拶を掲載するというから、今でも島根では相当な宗教的権威なのである。
 上記のように神話時代はおぼろげだが、実際の出雲は弥生時代から古墳時代にかけて、ヤマト王権に対抗し得る勢力を持っていたというのは考古学では常識になっている。一説には、瀬戸内の吉備と連携していたという説もあるが、その辺りは今後の発掘調査で徐々に判ってくるだろう。また、近年の発掘調査で、境内から巨大な柱が発掘され、地上約50mという、あまりにも規模が大き過ぎてそれまで真偽が疑問視されていた古代の社殿の存在が、にわかに真実味を帯びてきているというから、まだまだ出雲の古代は謎が多く、驚くような事実が眠っているのかもしれない。
 旧暦の10月は神無月というが、出雲では神在月というらしく、大国主の子孫である八百万の国つ神が全国から出雲に帰ってくる為、「無」しではなく「在」りになったという。実際に境内には小さな社が無数にあり、それぞれに神を迎えるのだろう。また、広い境内に古木が生い茂る社は、それだけで年月の重なりと伝統を感じる。

出雲大社の鳥居と社殿