旧草津川
区間  滋賀県草津市青地町〜北山田町
最終訪問日  2012/5/12
今でも周辺より河床が高い旧草津川の流路 かつては教科書にも載るほど天井川として有名だったが、流路が変えられて天井川ではなくなり、その跡地が俗に言う旧草津川となった。ちなみに、滋賀県の利用計画などでは、草津川廃川敷地と呼ばれている。
 草津川は、鶏冠山の西麓、オランダ人技術者デレーケによって明治22年に割石積みの堰堤として大津市桐生町に造られたオランダ堰堤に源流を発し、そこから北流して美濃郷川や金勝川を合わせ、かつては金勝川との合流点辺りから北西方向へ流れて琵琶湖へと注いでいた。しかし、天井川である為に水害の被害が大きくなりやすく、周辺住民は長い間、被害や不安に悩まされていたという。そこで、昭和46年から平地河川化が徐々に進められ、平成14年6月14日に金勝川の流れを延ばすような形で合流点から西方向に新しい放水路が設けられた。これにより、約15kmだった草津川の長さは13.17kmへと短くなったが、川幅が広く取られたこともあって、流域面積は35.8km2から48.3km2へと広がり、河床の高さと共に流量についての不安も和らいだ。
 流路変更後、それまでの草津川の流路は当然のことながら廃川となったのだが、JR線と国道1号線付近は歴史的に馴染みの深い天井川の姿のまま残され、河口域もビオトープとして活用されており、それぞれかつての面影を留めている。
 このように今も天井川の姿を残す草津川であるが、天井川としての歴史は浅く、江戸時代中頃から天井川化したものという。そこから約100年ほど経った明治19年には、天井川をくぐる最初のトンネルが完成しており、相当短い期間で立派な天井川へと成長したらしい。膳所藩の寒川辰清の残した文章には、平時は水が無く雨が降ると必ず水が出る急流とあり、大雨が降る度に氾濫し、上流域の脆い花崗岩の土砂を大量に運んできたようだ。草津川の旧称の砂川という名前から想像すると、大雨で砂を運び、普段は砂が目立つような水のほとんど無い川という、草津川の性質が理解しやすい。このように氾濫を繰り返して土砂を運んでくると、川は土砂によって河床が上げられることでより氾濫しやすくなってしまうが、住民は氾濫を予防しようと、川の土砂を浚渫すると共にその土砂を堤防として積み上げた結果、次第に周辺地盤よりも河床が高くなっていったのである。
 JR線や国道1号線付近の旧河川は、元の天井川の姿を留めているが、水の無くなった川底は当然ながら露呈して草に覆われており、川を横切る土橋状の遊歩道も整備されているせいか、川跡というよりはただの細長い窪地のようになっていた。また、主要な県道が通る場所では、かつての土手が切り崩されて道路が開通しており、その付近に限って見れば、何も知らないと川の土手であったとは思えない姿となっている。とは言っても、土手の遊歩道を繋げるべく切り通しに橋が掛けられている場所もあり、水があった時と同じように市民の憩いの場所としてジョギングコースや散歩コースとして愛用されているようだ。古いものから新しいものへと切替えた時に、無駄なので全く無くしてしまおうというのではなく、古いものに対する住民の愛着や記憶を大事にしつつ、有用なものへと次第に変えていこうとしているのが、旧草津川からは感じられた。