狭山池
所在地  大阪府大阪狭山市
大阪狭山市役所西500m
最終訪問日  2008/11/19
北からの狭山池全景 日本最古の貯水池。現在はダム化されているので、正式には狭山池ダムという。
 狭山池は、日本書紀や古事記に記述が見られるようにその歴史は古く、古代に南河内の農業用貯水池として造られたものである。長らく、その正確な築造年代は分かっていなかったが、ダム化工事の際に発掘された築造当時の東樋の資材を年輪年代測定したところ、616年という結果が出た。これにより616年かその数年内に造られたということが判明したのである。また、当時の築堤の工法が、堤の調査から敷葉工法と判明した。この工法は、粘土や砂利を撞き固めたところに枝のついた葉を敷き詰め、更に粘土や砂利で撞き固めるという方法で、水はけを良くし、堤を強化する効果がある。これは、当時では大陸伝来の最新技術であったことから、記紀にあるように、国家的な大プロジェクトとして築造されたことが裏付けられた。ちなみに、池に流出入している西除川や東除川の除の意味は迂回水路のことで、狭山池築造当時の迂回水路がそのまま川として残っているということである。
 土木灌漑設備は絶え間ない補修や管理が必要で、この狭山池も地震による被害などが史料に記録されており、その時々の権力者によって幾度と無く改修が施された。有名なのは、8世紀の行基による改修と13世紀の重源による改修、豊臣秀頼の命で片桐且元が行った17世紀の慶長の大改修で、ダム化した平成の大改修を含め大きく4度改修があったことになる。平成の改修では、貯水機能だけではなく洪水調整という治水機能も追加され、狭山池の歴史の中で新たな局面に入ったということが言えそうだ。
 均一型アースフィルダムという形式でダム化された現在の狭山池は、ダム化の際に池底を平均3m掘り下げ、更に堤の高さを1m嵩上げしており、堤高18.5m、総貯水容積280万m3、湛水面積0.36km2という巨大なダムとなった。だが、堤を歩くと、ダムという雰囲気はあまりせず、近代的に改修された巨大なため池という感じが強い。これは、普通のダムが山間にあるのに対し、狭山池が市街地や住宅地から近いせいだろうか。訪れた時は風が強く、天気もそれほど良くなかったが、春の気候の良い頃なら水際はかなり心地よくなると思われ、付近に住んでいる人にとっては、ちょうど良い散歩コースになっているのだろう。