仁徳天皇陵
所在地  大阪府堺市
JR百舌鳥駅北西すぐ
最終訪問日  2008/11/19
仁徳天皇陵の正面 第16代天皇の仁徳天皇の陵墓に比定されている古墳で、日本最大の前方後円墳として有名。5世紀前半から中頃の築造とされ、宮内庁では百舌鳥耳原中陵、考古学的には大仙陵古墳というのが正式名称である。仁徳天皇陵というのが一般に呼ばれる名前なのだが、発掘調査が制限されている為、埋葬人物が誰であるか確定できず、正確には伝仁徳天皇陵とするほうがいいのかも知れない。
 仁徳天皇は、神功皇后摂政57年(257)に生まれ、仁徳天皇元年(313)から仁徳天皇87年(399)まで在位したと記紀に記されている天皇だが、実在の人物かどうかは不明という。一説には、父である応神天皇の功績を2つに分けた為に挿入された人物とも、2人の天皇の事跡が合わせられたものともいわれる。その一方で、中国の史書に出てくる倭の五王の賛や珍に比定する説もあり、未だ定説が導き出されていない。仁徳陵の考古学的調査が進展すれば結論に一歩近付くと思われるのだが、宮内庁はあくまで墓というスタンスを崩しておらず、なかなか調査は難しいようだ。
 仁徳陵は最大の前方後円墳だが、敷地面積で見ると世界の他の陵墓に匹敵するほど大きく、世界三大墳墓に数えられるほどの世界最大級の陵墓である。現地案内板の数字と堺市の資料の数字に若干の違いがあるのだが、堺市の資料の数字で言えば、墳長486m、前方部の長さ237m、幅305m、高さ33m、後円部の直径249m、高さ35mで、3重の周濠を含めた大きさでは最大長840m、最大幅654m、周囲2718mという巨大さだ。現地に行くと判るが、遠目では小山としか思えないほどである。古墳には、葺石が敷かれた3段の段丘があり、方形と円形の間のくびれには造出しと呼ばれる張り出し部分が設けられ、武人や馬を象った埴輪や呪術的な意味合いがあるという円筒形の埴輪が合わせて2万個以上墳丘に置かれていたという。ただ、当たり前と言えば当たり前だが、現在は木が繁茂しているので、近付けるだけ近付いてもよく判らない。また、仁徳陵周辺には消滅したものや古墳かどうか怪しいものを含めて19の陪塚があり、現存は16基、宮内庁が陪塚と指定したものは12基存在する。
 古墳の造成以降、朝廷が勢力を失ってからは管理が疎かであったようで、江戸時代にはすでに埋葬施設部分が盗掘に遭っていたようだ。しかし、江戸時代の尊王思想の興隆によって歴代天皇の陵墓に関する保護策が進められ、この仁徳天皇陵も幾度か補修されている。そして、明治維新以後は国が国策として管理し、現在のように考古学的調査が許されなくなった。天皇家の祖先の墓と考えると、発掘調査が許可できないのも理解できるのだが、本当に先祖だったのかという疑問への回答や古代史の進展の為にも、もう少し柔軟に対応してくれたらとは思う。ただ、近年は宮内庁にも規制を緩めつつあるように感じられるので、今後は期待したい。