三星城 所在地 岡山県美作市
美作市役所北西500m国道179号線沿い
区分 山城
最終訪問日 2001/11/18
 美作の豪族後藤氏の居城。
 美作後藤氏は、承久3年(1221)の承久の乱で後鳥羽上皇方につき、鎌倉幕府に叛旗を翻した後藤基清の子孫と伝えられ、一説には南北朝時代の観応2年(1351)に康基が美作国内に地頭職を得たという。だが、基清は承久の乱以前に播磨の守護職を務めており、その影響かどうか西播磨や美作には後藤姓が多く存在するので、この康基の直系の子孫が三星城主かどうかは断定できない。
 室町時代の後藤氏の動向は詳らかではないが、明応年間(1492-1501)に勝国が立石氏を攻撃して敗死したものの、子の勝基が立石氏の打倒に成功して台頭したらしい。天文年間(1532-55)中頃には、山陰から勢力を伸ばしてきた尼子氏に一時は臣従したものの、後に浦上宗景と結んで対立した。だが、川を挟んだ対岸にある林野城を攻めた時には、守将であった尼子重臣川副久盛の反撃に遭っている。
 その後、勝基は赤松氏の勢力を美作から駆逐するなどして基盤を固め、尼子氏の没落もあって東美作の覇権を確立しつつあったが、備中から尼子方勢力を駆逐した三村家親が尼子氏と入れ替わるように美作へ侵攻し、永禄8年(1565)には三星城も攻撃に晒されている。その家親が宇喜多直家によって暗殺されると、今度は直家が浦上氏を滅ぼして美作の併呑に取りかかり、天正7年(1579)には三星城が陥落して勝基は自刃、子の勝政は落ち延びたという。
 今まで2度訪れているが、1度目は雨、2度目は日没で登れずと、なかなか巡り合わせが良くない。目の前に林野城もあるし、天気の良い日を見計らって、日帰りでまとめて2つを回ったほうがいいのかも。