神楽尾城 所在地 岡山県津山市
区分 山城
最終訪問日 2005/11/24
 神楽尾城は南北朝時代に築城されたらしい。その後、赤松氏に代わって美作の守護となった山名氏の一族と見られる山名氏兼が城主となっていた。氏兼は、天文年間(1532-55)初頭より始まった尼子氏の侵攻に対し、幾度か撃退に成功したが、同7年(1538)尼子方となっていた稲荷山城主原田忠長に城を落とされた。しかし、5年後には氏兼が逆襲し、逆に稲荷山城を落としている。
 その後、尼子氏の勢力が衰えるに従って毛利氏の勢力が浸透し、城には大蔵尚清と千場三郎左衛門が入っていた。この頃、毛利氏と宇喜多氏は三村氏を介して争い、この城も最前線であったが、やがて将軍義昭の命によって和睦し、合一して織田家包囲網の一翼を成すようになった。しかし、天正7年(1579)の半ば頃には宇喜多氏が織田方に転じ、再び対決の様相を呈するようになり、神楽尾城の毛利勢が宇喜多方の荒神山城攻撃を企てたが、それを察知した荒神山城主花房職秀に逆襲され、落城したという。
 津山城から北西1.5kmほどのところ、津山市街の西の端に神楽尾公園があり、その駐車場の北側に、神楽尾城の存在する方向を示す道標がある。その方向に従って10分ほど山道を歩くと舗装された道に出たので、行き過ぎたかと思って引き返したが、城に繋がるような道はなかった。駐車場の西側にあるキャンプ場の辺りも散策してみたが、どうも違うらしい。帰ってから地図を確認してみると、引き返したところにあった舗装された道の更に奥に神楽尾山があり、道も続いているようなので、もっと奥に進まなければならなかったのだろう。