吹屋銅山
所在地  岡山県高梁市
高梁市役所北西14km
最終訪問日  2006/6/24
吹屋銅山笹畝坑道入口 吉岡銅山ともいい、パンフレットには吉岡銅山が正式な名称であるように書かれてあったが、現地の案内板などは吹屋銅山となっていた。
 最初の発見は大同2年(807)とあるが、初期は地表に露出した鉱脈から採掘する露天掘りだったはずである。時代が下って戦国時代になると、全国的にそうだが、直接の財源となる鉱山は戦国大名が盛んに開発し、争奪の的にもなった。この吹屋銅山も山陰の覇者尼子氏と西から興った毛利氏との間で争奪が繰り返されたという。
 江戸時代に入ると、その初期には成羽藩の支配となったが、当然のことながら、他の鉱山と同様にほとんどの期間は幕府が直轄としていた。元禄年間(1688-1704)には今の住友グループの前身である泉屋が採掘を請負い、排水工事に成功して六大銅山に数えられるほど栄え、その後、幕末まで大塚氏の福岡屋が請負った。明治以降は三菱金属が経営し、西洋式の採掘を導入して溶鉱炉なども造られ、日本三大鉱山のひとつとして黄銅鉱や磁硫鉄鉱を産出したが、2度の大戦を経て細々と操業が続けられるのみとなり、昭和47年に閉坑となった。
 昭和53年に、ふるさと村整備事業の一環で観光用に笹畝坑道が修復され、現在は約320mの坑道を見学でき、内部は思ったよりも広がっていて驚く。この笹畝坑道は銅山の本山ではなく支山であるが、斜坑によって本坑と繋がっており、出口のさらに上には露出した鉱脈も見える。訪れたのは6月で、すでに半袖の季節だったが、坑道内はほぼ15℃前後で一定しており、他の鉱山でもそうなのだが慣れるまでは寒かった。