勝山町遺跡
所在地  長崎県長崎市
長崎市役所北東150m桜町小学校下
最終訪問日  2012/3/14
 勝山町遺跡の場所には、江戸時代初期に建てられたキリスト教会があり、禁教令の後は長崎代官であった末次氏の屋敷、高木氏の屋敷があった。これら時代の違う遺跡をまとめて勝山町遺跡という。
 勝山町遺跡で最も古い遺構はサント・ドミンゴ教会跡で、マニラのドミニコ会のフランシスコ・デ・モラレス神父が慶長14年(1609)に建てた教会である。もともとモラレス神父は、慶長7年(1602)から薩摩で布教活動をしていたが、薩摩藩でキリシタン追放令が出された為、止む無く長崎へと移ってきた。これに伴い、川内の湊である京泊にあったロザリオの聖母聖堂(天主堂)を解体して長崎に運び、熱心なキリシタンであった長崎代官村山等安から寄進された土地に移築したのがサント・ドミンゴ教会である。このように、その建築経緯からして既に禁教の影響が表れていた教会であったが、早くも建設5年後の慶長19年(1614)には幕府によって禁教令が発布され、教会を保護していた等安もこれには逆らえず、長崎の他の教会などと共に建物は解体されてしまった。ちなみに、教会にあったロザリオの聖母像は今も健在で、マニラに移されて日本のマリア様と呼ばれているという。
 教会の跡地は、元和4年(1618)に等安を訴えて失脚させた末次平蔵政直の屋敷地となり、代官となった末次氏が4代茂朝の時に密貿易が発覚して失脚するまで使われ、末次氏失脚後は、代わって代官に就任した高木家の屋敷として使われた。勝山町遺跡には、これら三層に渡っての遺構が残っている。
 遺跡は、サント・ドミンゴ教会跡資料館内部に、発掘された状態のままの保存展示という珍しい方法で展示されており、非常に遺跡の様子が解り易かった。例えば、資料館に入ってすぐ教会時代の使途不明の大きな石組みの地下室遺構があると思えば、そのすぐ横に時代を経た高木屋敷時代の井戸の石組みがあり、はっきり確認できる教会時代の石畳に続いて見学通路沿いに各時代を通して使われた排水溝が見えるなど、形の明確な遺構が多い。これらを見て行くと、時代を横断して凝縮したような印象を受け、非常にダイナミックに感じる。
 250年に渡って刻まれた歴史が形としてはっきりと残っているというのは、視覚的にも刺激が多く、見学していてかなり面白かった。石の遺構が多いことが、当時の姿を容易に形として想像できるという点で良いのだろう。また、小学校の建物の一部を使った屋内展示というのは、保存や展示が難しい都市部の遺跡のひとつの回答となるのかもしれない。