諏訪大社上社本宮
所在地  長野県諏訪市
中央道諏訪I.C.南西800m
最終訪問日  2012/10/12
諏訪大社上社本宮の鳥居 全国に1万社以上ある諏訪社の総本社で、諏訪湖周辺に上社は前宮とこの本宮、下社は春宮と秋宮の4宮があり、この2社4宮合わせて諏訪大社という。また、神社本庁の定める、いわゆる別表神社のひとつでもある。
 記紀における神話では、大国主命の国譲りの際、その子であった建御名方神が国譲りに反対して建御雷之命と相撲で勝負し、敗れて諏訪まで逃れたが、やがて赦されて諏訪の国造りをしたという。諏訪大社の上社では、この建御名方命と妃神である八坂刀売神を祭神として祀っているが、これらの神はかつての諏訪地方の王をモデルとしたわけではなく、古来から土俗信仰として成り立っていたものに、神話があとからかぶさってきたというのが定説のようだ。実際に諏訪湖やその周辺を眺めれば、個人的には思わず崇拝したくなるような雄大さを感じたし、古の人々にとってもそれは信仰すべき対象であったに違いない。
 土俗信仰であるが故に鎮座は有史以前にまで遡るが、奈良時代以降は信濃国一宮として尊崇され、風や雨などを司る龍神信仰や農業神としての信仰の対象となった。冬に諏訪湖で見ることができる、氷が割れて盛り上がる現象は、御神渡と呼ばれるのだが、これが龍神信仰の源ではと思うほど、氷の割れ方に龍をイメージしてしまうのは自分だけだろうか。
 また、龍神信仰や農業神としての信仰とは別に軍神としての一面もあり、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征する際に戦勝祈願したという伝承のほか、古くから有力な権力者などの信仰を得てきた。中世には、諏訪大社上社大祝を世襲した諏訪氏を中心に諏訪神党と呼ばれる武士団が祭祀を執り行い、後にこの地を支配した武田信玄も篤く崇拝している。
 社殿は、四方に御柱を配して内に東西の宝殿、幣拝殿が並ぶ諏訪造という独特の構造をしており、本殿を持たず、東西の宝殿がその代わりをしているという。この宝殿には、伊勢神宮の式年遷宮のように式年造営というのがあり、東西の宝殿で6年毎の寅年と申年に御神宝が遷座して建て直され、この時に御柱大祭が執り行われて御柱も建て直される。この大祭は、延暦23年(804)には史料に見えるという古くからの行事で、御柱祭りとして知られ、特に御柱となる大木が坂を滑り落ちる木落しはニュースで見た人も多いだろう。
 この本宮では、上社の祀る2柱の内、建御名方神を祀っており、御神体は御山といって後背の守屋山を神体山としている。また、拝殿や四脚門など社殿6棟が重要文化財に指定されており、古代よりこの地で祭祀が重ねられて来た歴史を思わずにはいられない。訪れたのは日が暮れてすぐの時間だったが、ほの暗さも手伝ってか、境内の厳かな雰囲気は抜群のものがあり、ふと時代を超越したような錯覚に陥るほどだった。時代を越え、この厳かさを今後も持ち続けて欲しいと切に願うばかりである。