渡月橋
所在地  京都府京都市右京区
京福電鉄嵐山駅南200m
最終訪問日  2011/10/16
中之島からの渡月橋全景 京都嵐山には欠かせない橋で、嵐山の風景写真や映像には、橋のやや上流にある一ノ井堰や嵐山の山容と共に必ずと言っていいほど登場する。
 渡月橋が最初に架けられたのは平安時代の承和年間(834-48)、特に同3年(836)頃とされ、空海の弟子であった僧道昌によるという。道昌は、天長6年(829)に葛野寺に入ってこれを中興し、寺の周辺の整備も行った為、民衆に尽くした行基の再来と呼ばれたが、その整備事業のひとつとして、古代に秦氏が造成した大堰川の葛野大堰の修築があり、この工事に伴って葛野寺への通行の為に架けられたのが渡月橋である。葛野寺は、貞観16年(874)に伽藍が整備されて現在の名前である法輪寺となるのだが、渡月橋と呼ばれる以前の橋は、葛野橋や法輪寺橋と呼ばれていたという。また、現在のような長い橋を造る事はせず、現在地よりも200mほど上流の川幅が狭くなった所に架けられていた。
 渡月の名称が登場するのは、400年ほど時代の下った鎌倉時代で、時の亀山上皇が父後嵯峨天皇の造営した亀山の離宮に住み、雲の無い夜空に月が浮かぶ様子を見て、「くまなき月の渡るに似たり」と感嘆したことに由来する。以来、洪水や戦災での亡失の度に幾度も架け直され、慶長11年(1606)になって今の場所へと架け替えられた。この架け替えに尽力したのは商人角倉了以で、了以は保津川の水路を開削した人物でもあり、京の都と北西の嵐山や丹波を結ぶ交通史に残した業績は大きい。
中之島から渡月橋の上流にある一ノ井堰と小倉山の眺め 現在の橋は昭和9年に架け替えられたもので、車の通行に求められる強度を考慮して鉄筋コンクリートで造られているが、風情に配慮して旧態を残し、欄干等は木でできている。全長は、京都府のホームページによれば154mで、観光バスを始めとする車も多く通る道であるが、それ以上に人が多く渡る橋という印象だ。それほど、休日の嵐山には人が多い。ちなみに、中之島から北側が渡月橋、南側は小渡月橋で、渡月橋北側から中之島までが右京区、小渡月橋辺りから南が西京区となっている。