須崎城 所在地 高知県須崎市
JR須崎駅北西500m
区分 山城
最終訪問日 2004/9/10
須崎の城山公園 土佐七雄のひとつとして姫野々城を本拠とした津野氏の支城であったという。だが、築廃城時期や城主などの詳細はわからない。
 津野氏は、その出自や系図、土佐入国の経緯など、不明な点が多く、藤原仲平の子経高が初代とする説が一般的だが、経高が津野と名乗る以前に山内と称していたことから、山内氏の流れともいわれている。いずれにしろ、平安時代から高岡郡津野庄を地盤としていた古い家で、代々好学で文化的な素養を持っていたという。
 しかし、戦国時代には、中村の一条房基が勢力を伸張させるに従って劣勢となり、天文年間(1532-55)の中頃には一条氏に臣従し、さらに、長宗我部家が岡豊から興り、勢力を西へ伸ばすと、長宗我部氏の圧力によって親一条派と親長宗我部派に家中が分裂した。そして、当主定勝が追われて子の勝興が擁立され、長宗我部元親の三男親忠を養嗣子として迎え、長宗我部家に完全に吸収されたという。
 訪れた時は、須崎の駅で城山の位置を確認してから山の周囲を回って登り口を発見し、徒歩で登った。中腹に城山公園が整備されていたが、これは郭跡を整備したものだろうか。この公園からさらに奥へ道は続き、金比羅神社という小さな社があったが、更に山頂に主郭があるのだろう。だが、この社の後ろに主郭へ続くであろう道がある様子だったが、道が曖昧な上に台風直後ということもあって倒木などで進める状況ではなく、それより上は断念せざるを得なかった。