久礼城 所在地 高知県中土佐町
JR土佐久礼駅西300m久礼中学校後背
区分
最終訪問日 2004/9/10
久礼中学校と久礼城のある後背の山 土佐の国人佐竹氏の居城。
 土佐佐竹氏は、近世大名としても有名な常陸佐竹氏の傍流である。入部年代としては、戦国時代という説もあるが、それ以前から活動が見えることから、承久3年(1221)の承久の乱後とする説が正しいようだ。恐らく、後鳥羽上皇側の武士の領地が再編されたことで新たに入部した新補地頭だったのだろう。その後は、南北朝時代に北朝方として活動しており、室町時代には土佐守護の細川氏に従っていたと考えられる。後の戦国時代中頃には、中村の一条氏に属していたようだが、周辺豪族の関係から、細川氏が支配の実質を失った後から一条氏の伸張までは、津野氏に従っていたのではないだろうか。
 その後、信濃守義直が長宗我部元親の台頭によって長宗我部家に服属し、義直の甥親直は元親の娘を室にしているなど、佐竹氏は元親からの信頼が厚かったようだ。ちなみに、親直は元親の四男盛親に従って慶長20年(1615)の大坂の陣で討死し、その子は仙台藩伊達家に仕えたとされる。また、義直の子親辰は長宗我部家滅亡後、堺に移り、同所で死去したという。
 地図に久礼城とあったものの、駅などで調べてもよく分からず、徒歩で探している時に、中学校入口に学校創立の碑があるのを発見し、その碑に久礼城のことが触れられていた為、学校の裏山が久礼城であるということが判った。学校に用事があったと思われる、通りがかった女性の方に声を掛けられ、わざわざ役所に勤めているという知り合いの方に聞いて祠だけがあるということまで教えてくださったが、さすがに中学校の敷地であるし、登山道もしっかりしてなさそうなので、登城は遠慮した。