観音崎
所在地  神奈川県横須賀市
三浦半島東端
最終訪問日  2013/5/17
暗闇に浮かび上がる観音埼灯台の光 三浦半島東端にある岬で、北東約7km先の千葉県富津岬とこの観音崎を結んだ線が、東京湾の湾口部である浦賀水道の北西側の口となる。
 観音崎の名の由来は、奈良時代の名僧行基が天平13年(741)に付近の漁民を苦しめていた大蛇を退治し、その霊を鵜羽山権現として海食洞に祀ると共に、神話時代のヤマトタケルの東征の際に走水で入水して波を修めたヤマトタケルの妃弟橘媛命を観音の姿に刻んでその側に納めたことから、名付けられたという。この十一面観音菩薩は船守観音と呼ばれ、主に漁民を中心に大きな信仰を集めたが、明治時代に観音崎の軍用地化で亀崎に移転し、昭和61年に火災で失われてしまった。
 観音崎は、江戸への海の入口にあたることから、江戸時代から船見番所や砲台場が置かれていたが、明治の初めまでは料理茶屋などもあり、付近の人のレジャーの場という面もあったようだ。だが、明治13年には海防を理由に一般人の立ち入りさえ制限されるようになり、後には東京湾要塞の一部となった。太平洋戦争後は、砲台などが撤去され、昭和50年には一帯が県立観音崎公園という都市公園となり、再びレジャーの場となっているほか、博物館や美術館などの文化施設も建設されている。
 観音埼灯台は、江戸幕府が欧米4ヶ国と結んだ改税条約で建設が約束された8基の灯台の内のひとつで、明治2年1月1日に稼動を開始し、日本で最初の洋式灯台となった。経緯度は、北緯35度12分55秒、東経139度44分43秒である。現在の灯台は3代目で、初代はレンガ造りの優雅なフランス洋館風だったそうだが、地震で亀裂が入ったのか倒壊したのか、使用不能となり、代わって建てられた2代目のコンクリート製灯台は大正12年に稼動したものの、僅か5ヶ月半で関東大震災によって倒壊してしまった。震災の翌々年に再建された今の3代目は、現在一般公開されており、灯台資料展示室も併設されている。
 観音崎に到着したのはもう陽が落ちてしまってからで、せめて灯台だけはと訪れてみると、ほぼ闇となった海と空の中に灯台の光が浮かび上がるような光景があり、これはこれでなかなか良かった。ただ、灯台の案内板の字が見えにくかったり、灯台までの遊歩道に少ししか街灯が無くて足元が見えなかったりするので、明るい時間に行けるならそのほうが良さそうだ。