志布志松尾城 所在地 鹿児島県志布志市
志布志小北西280m
区分 平山城
最終訪問日 2015/10/17
志布志松尾城と志布志内城の縄張図 志布志城を構成する4つの城の内のひとつ。内城と合わせて国指定の史跡となっている。
 志布志は、そもそもは島津荘内の港として発展した土地で、救仁院とも呼ばれ、一帯は文治5年(1189)から桓武平氏のひとつである薩摩平氏の救仁院成直が支配したという。島津荘を開発した平秀基の出自には諸説あるが、薩摩平氏という説もあり、それがもし正しいとするならば、成直は一門として救仁院の支配を任されたのではないだろうか。ただ、救仁院氏が鎌倉時代に安定して支配したというわけでも無いようで、所有や支配にはやや曲折があったようだ。また、救仁院氏が志布志城とどの程度の関わりがあったのかは、全く不明である。
 城が築城された具体的な時期は不明なのだが、最初に史料に見えるのは南北朝時代で、建武3年(1336)に肝付兼重の属城だった救仁院志布志城が、重久篤兼に攻め落とされた記録があるという。この志布志城が、松尾城の事である。
 その後、城主として楡井頼仲という武将が在ったことが見えるが、楡井氏は信濃の村上源氏の出身であり、いつ頃にいかなる理由で志布志に入部したのかははっきりとしない。頼仲は、興国2年(1341)か翌年頃に薩摩へ入った懐良親王の号令に応じて南朝方として活動しており、この頼仲の動きに対し、北朝方の畠山直顕が正平3年(1348)に同じく北朝方の島津貞久と共同で志布志城を攻撃したが、頼仲は兼重と連携して城を保ったという。だが、同6年(1351)には再び直顕や禰寝清成らに攻撃され、落城している。この後、頼仲は南九州を転戦するが、拠っていた胡麻崎城が落とされるなどした為、再び志布志城に入り、延文2年(1357)2月に落城して自刃した。
南峰の最高部にある社と楡井頼仲の碑 頼仲の没後、志布志松尾城には島津一族で救仁院を本拠とした新納実久が入る一方、内城は島津氏と対立していた直顕が掌握したとされ、内城の初見はこの時である。両者の対立は深刻で、同年中には直顕が実久を攻めており、実久は貞久の四男氏久と共同してこれを退け、更に内城をも掌握したようだ。この翌年、南朝方の重鎮菊池武光が志布志に来往し、同志であった頼仲の墓を参っているが、これは、島津氏が直顕との対立の為、一時、南朝方に転じていた為と考えられる。
 この後、貞治4年(1365)頃から大隅守護となった島津貞久が内城に入城し、20年前後に渡って本拠としているが、実久もそのまま志布志に在ったとされ、氏久の重臣として大隅経営に参画していたようだ。その頃の細かい内情は不明だが、内城が島津本宗家の城として位置付けられた一方、支城となった松尾城は、実久が最初に入城した城ということもあって、そのまま実久の城として任されていたのかもしれない。
 氏久が鹿児島に戻ると、実久が内城を含む志布志城の城主となり、両城を一体的に運用したと見られ、新納氏の累代や、天文7年(1538)からの豊州島津氏の時代、永禄5年(1562)からの肝付氏の時代、天正5年(1577)からの島津氏の時代と、戦乱を重ねていく間に内城の拡張と新城、高城の築城が行われていった。こうして志布志城は松尾城を含めて広大な城域を持つ城になったのだが、天正15年(1587)の秀吉の九州征伐に島津氏が降伏すると、その城割政策の対象に松尾城が含まれ、破壊はされなかったものの城の役割を終えた。
北側の削平地の北麓は巨大な擁壁になっていた 松尾城は、北側から南へ伸びる丘陵の先端に築かれた城で、その名の通り峰の末尾の城である。城にピークが2ヶ所あり、南側は狭く、北側は広い削平地となっているが、その間の鞍部は人工的なものか、掘り切ったものなのかは判別できなかった。ただ、遠景で見る限りは、規模からして自然地形の可能性が高そうだ。鳥瞰図を見ると、南側のピークに3区画とその南の中腹に2区画と段郭、南北のピークの鞍部に1区画、北側のピークに3区画の郭があった。
 志布志小学校の辺りから西へと出ている道を少し進むと、城を示す標柱が建っており、そこからすぐの所はもう垂直の堀切がある城域である。訪れた時は、堀切の所に倒木があって道が塞がれており、なんとか枝を掻き分けて登ったが、途中、2ヶ所の削平地が見られ、登り切った最上部は僅かに段差のある2段構成となっているものの、大きさは自体は小さい。最高部の周囲には土塁が見られ、どういう機能があったのか、その土塁の虎口を挟んだ東側に同高の小さな郭もあった。ただ、鞍部を挟んで北側にあるはずの、主郭にあたると思われるかなり大きな削平地へは、ここから向かう道が無いようだ。山の反対側には崩落止めの大きな擁壁があり、その保守用の階段を登って北の削平地へ行けそうだったのだが、擁壁のすぐ下の民家の人に聞くと、藪で入れたもんじゃないという事だったので、散策は諦めた。