安宅関跡
所在地  石川県小松市
北陸道小松I.C.西1km
最終訪問日  2001/9/15
 弁慶と義経の逸話で有名な関所の跡。現地の碑には安宅関址とあり、安宅の関や安宅ノ関と書くことも多いようだ。
 平家追討に大功のあった源義経は、後白河法皇に利用されて兄頼朝と対立し、敗れて流浪するが、頼朝も義経を捕えるべく、全国に関所を設置した。この安宅関もそのひとつで、奥州藤原氏の保護を受けるべく北を目指した義経一行は、鎌倉幕府創設間近の文治3年(1187)に富樫泰家が関守を務めるこの関へ辿り着き、泰家に詮議されて怪しまれた。その時、武蔵坊弁慶は白紙の勧進帳を読み上げ、さらに義経に顔が似ていると指摘されると、義経を金剛杖で打ちつけてまで主人を守ろうとした。その忠義に、泰家は義経一行と知りつつ関を通したという。
 この逸話は平家物語には無く、義経記の、三の口の関を通ったこと、平泉寺で井上左衛門に正体を見破られそうになったこと、如意の渡しで弁慶が義経を扇で打ちつけたことの3つを参考に能の「安宅」で創作され、そして更にその影響を受けて歌舞伎の「勧進帳」が作られたらしい。
 関跡には、海に面して寒風が吹きすさぶ中、「勧進帳」の主要人物である義経と弁慶、泰家の銅像が建っているが、残念ながらもともと関があった場所は沖合100mの海中に沈んでいる。しかし、当時から千年も経っていないのに、これほど海岸線が変わってしまっているというのも驚きだ。