八上城 所在地 兵庫県篠山市八上
国道372号線沿い南側
区分 山城
最終訪問日 2000/5/12
 明智光秀と争った丹波波多野氏の居城で、地元ではヤカミと読むらしい。
 波多野氏の出自ははっきりとせず、藤原秀郷流相模波多野氏の後裔とも、石見の豪族吉見氏の一族清秀が母方の波多野姓を名乗ったともいわれ、有名な最後の当主秀治の曾祖父より以前は名前も複数伝わって判然としないのが実情である。一説では、山名氏の家臣で因幡八上郡に居した田公氏の出で、城の名は郡名から来ているともいう。
 史料からは、応仁の乱で波多野清秀なる人物が細川氏に属して功を挙げ、丹波国多紀郡に所領を得たというのが比較的はっきりしており、清秀の子と思われる人物が永正年間(1504-21)に八上城を最初に築いたようで、元清、秀長、経基という複数の名が伝わっている。 この時の築城は、現在の高城山ではなく西峰の奥谷城と呼ばれる場所で、高城山の山頂にも見張り台や出丸のような後背を固める軍事施設は造られていたと考えられているが、この辺りは毛利元就が本拠とした吉田郡山城と事情が似通っている。つまり、築城当時は全山城砦化して守るだけの動員兵力がまだ無い上に合戦もそれほど頻繁ではなかったが、やがて勢力の拡大とともに戦乱が常態化し、旧城を一部として取り込んでより高所へ大規模に再築したというところだろうか。共に郡主程度の勢力から出発しており、この共通点を考えるとおもしろい。
 波多野氏の事跡が明確になってくるのは秀治の祖父稙通からで、一説には稙通が八上城を築いたという説もある。稙通以降は晴通、秀治と続くが、稙や晴の字は将軍からの偏諱と見られ、京に近い丹波という地勢や管領細川家の家臣ということもあってか、室町幕府と近い存在であったようだ。
 稙通の頃、細川政元の養子らに家督相続の内訌が起こったが、波多野氏も細川家の有力な家臣として争乱に加わり、これに乗じて丹波守護代内藤氏を打倒、丹波の有力な勢力に成長して戦国大名としての地歩を築いた。子の晴通の頃には、細川家中で勢力を伸張してきた阿波細川家の家宰三好長慶と細川宗家を継いだ晴元が対立し、晴通は晴元に味方したが、これによって天文年間(1532-55)の末以降、三好氏の攻撃を受けることになり、三好軍の攻撃を数度は撃退したものの、ついに弘治3年(1557)か永禄年間(1558-70)初期頃に、長慶の家宰松永久秀の攻撃で落城した。しかし、八上城復帰を目指す晴通と、晴通の嫡子とも養子ともいわれている秀治は、周辺豪族の援助を受けて永禄9年(1566)に城を奪回し、以降、八上城を本格的な山城として拡張していく。
 一方、中央では三好氏に代わって織田家が足利義昭を擁して上洛しており、秀治を始めとする丹波国人衆も一旦は織田家の影響下に入った。しかし、義昭と信長が不仲になると秀治は織田家と距離を置き始め、荻野家を継いでいた赤井直正が同じ織田陣営の山名氏との争いから離反して天正3年(1575)に明智光秀によって討伐されると、突如として光秀軍を背後から襲い、敗走させた。これが、光秀による丹波経略の端緒となり、以降、光秀は幾度と無く兵を丹波へ繰り出し、秀治も妹婿の播州三木城主別所長治や毛利氏、摂津伊丹城主荒木村重と共に反織田戦線の一端を担ったが、ついに天正7年(1579)に落城した。
 この時の話として、光秀は母とも乳母ともいわれる人質を出して和睦を結び、秀治と弟秀尚を上洛させたが、信長が許さなかった為に兄弟は処刑され、八上城でも人質を殺して徹底抗戦したという挿話が残っている。これが本能寺の変の遠因になったともいわれているが、後世に創作された気配が強く、信憑性は低い。一説では、籠城の際に多数入れた野武士が利の無い戦いから叛乱を起こし、城主兄弟を差し出したというのが転じた話ともされ、正規武士ではなく忠義心の薄い野武士なら返り忠を働こうとするのも頷ける為、一定の説得力はある。
 城にはその後、並河易家か明智光忠が城代になったようだが、天正10年(1582)の本能寺の変後の山崎の合戦で光秀は秀吉に敗れ、戦後に丹波国を与えられた羽柴秀勝の属城となった。秀勝病没後は前田玄以が丹波亀山城主に任じられたが、この前後の八上城主はよくわからない。関ヶ原の合戦後には、玄以の子である茂勝が5万石で八上に入封するが、慶長13年(1608)に発狂して改易となり、代わって松井松平家の康重が入った。
 城は、慶長14年(1609)に築城された篠山城に役割を譲って廃城となり、資材や石垣なども同時に持ち出された為、郭などは確認できるものの、明確な城址遺構は多くない。山には登山道が整備され、伝承に沿うように光秀の母が処刑された松や井戸などが案内表示されているが、山自体が峻険な上に季節的なものなのか、草木が生い茂って歩きにくかった。2005年に国指定の史跡となったので、もう少し草刈りなどの人手が入るとありがたいのだが。