駒山城 所在地 兵庫県上郡町
上郡町役場北西1.1km
区分 山城
最終訪問日 2001/11/17
駒山城本丸 眼下に千種川と岩木川を廻らし、後方を安室川が遮っている生駒山にある城。
 白旗城を本拠とした赤松氏によって支城として築かれたとされる。建武3年(1336)に新田義貞が侵攻してきたときには、赤松円心則村が籠った白旗城や苔縄城と共に、駒山城も防衛網の一翼を担ったのだろう。
 築城者は、則村の三男則祐とも、安室義長ともいわれる。安室氏の出自や赤松氏との関係など、詳細なことは調べてもよく分からなかったが、太平記に安室郷というのが出てくるので、安室郷を本貫としていた武将だろうか。だが、安室郷は今の姫路市街の西にあたるので、ここからはかなり離れており、まさしく駒山城は戦時の城だったのだろう。
 いずれにしても、城は戦国期までは維持されたようで、恐らく赤松氏から浦上氏、そして浦上氏の家臣であった宇喜多氏へと、支配者は変遷していったと思われ、後には宇喜多直家の重臣で宇喜多三老と呼ばれたひとり、長船貞親の預かりとなっている。その後の城の変遷はよく判らなかったが、山ひとつ東の感状山城が、宇喜多氏と織田家の中国方面軍であった秀吉との戦いで戦場になったとされていることを考えると、同様のこの城でも合戦があったのではないだろうか。その後、宇喜多氏の織田家への寝返りで戦略的な意味が薄れ、廃城になったのかもしれない。遅くとも、秀吉が播磨国内の不要な城を城割した後の時代には、廃城になっていたのは間違いないだろう。
駒山城全体図 現在も、城跡には、石垣というよりも石塁というべき石積みの跡や堀切など、その当時の遺構が辛うじて確認できる。城の規模は小さく、主に2つの郭で構成されており、本丸よりも二ノ丸のほうが大きいという構造で、その両郭の間は空堀で大きく隔てられており、典型的な中世的山城といった趣だった。
 城は、上郡市街の北端にあり、登山道は整備されているが、岩質のせいかレキ石が多く、道が滑りやすい。城跡自体は、きちんと手が入れられているようで、草が刈られ、非常に散策し易く、気持ちが良かった。