柏原陣屋 所在地 兵庫県柏原町
崇広小周辺
区分 平城・陣屋
最終訪問日 2000/11/18
 織田家とゆかりの深い江戸時代の柏原藩の政庁跡。
 柏原には、最初信長の異母弟である信包が慶長3年(1598)に入封したが、この信包は清廉潔白な人柄で信長からの信頼も厚く、一族の重鎮的な存在であったらしい。本能寺の変後は秀吉に従うが、後に怒りを買って出家し、老犬斎と名乗った。その出家後に得たのがこの柏原で、関ヶ原の合戦では西軍に付いて細川幽斎の田辺城を攻撃するが、その人柄が幸いしたのか織田家という家柄が幸いしたのか、領地は安堵されている。
 しかし、この信包系の織田家は、3代で後嗣がない為に断絶してしまい、その後、柏原は旗本の領地となっていたが、元禄8年(1695)に大和の大宇陀から信長の次男である信雄の子孫信休が入部し、再び柏原は織田家所縁の地となって明治維新まで続いた。だが、移封の原因が信休の父信武が起こした宇陀騒動にあったように、こういう騒動の体質は遺伝するのか、柏原に移ってからもお家騒動や財政窮乏に悩み、藩政はなかなか安定しなかった。
 この陣屋自体は、入部から約20年も経った正徳4年(1714)に建てられたものだが、文化13年(1816)に火災に遭い、明治後にも取り壊された。現在残っている御殿は火災後に再建されたものだが、現存する陣屋御殿として貴重なものであり、長屋門は創建当時のものが現存している。
 現在でも、柏原はしっとりとした城下町の雰囲気を漂わせ、陣屋の跡地には小学校が建てられている。市街には武家屋敷や移築された太鼓櫓があり、城下町の趣が残る街並みを散策すると、小藩の城下らしいゆったりとした気分になる。