岩尾城 所在地 兵庫県山南町
JR船町口駅北西5km和田小後背
区分
最終訪問日 1995/1/15
 文明2年(1470)に谷基綱が蛇山城主であったことが史料にあるが、この蛇山城というのが岩尾城の前身であるかは不明。
 谷氏は周辺の地頭であったようだが、基綱の4代の子孫頼衡には嗣子が無く、信州から寄寓していた和田斎頼を娘婿とした。だが、この斎頼は後に頼衡を亡き者にして谷家を受け継ぎ、名字も和田を称していることから、単に婿取りをしたのではなく、単純な下剋上でのし上がってから、領主としての正当性を確保するために頼衡の娘を室とした可能性もある。
 斎頼は永正13年(1516)に蛇山山頂に城を築城したが、これが岩尾城で、この時に城下町も整備している。斎頼の子師季は、赤井の姓のほうが著名な、氷上郡一帯に勢力を誇っていた荻野直正に従っていたとみられ、丹波経略に乗り出した織田軍とも敵対したが、天正7年(1579)5月に落城し、和田氏も滅んだ。
 織田家の丹波平定後、丹波一国が明智光秀に与えられたが、光秀は天正10年(1582)本能寺の変で信長を討つも、すぐさま秀吉に山崎の合戦で敗れた。その後、岩尾城には天正14年(1586)に近江から木戸十乗坊が入り、佐野栄有と改名して城を整備するなど10年間統治したが、文禄4年(1595)に移封となり、翌年の慶長元年(1596)に廃城となった。
 最初は何気なく地図を眺めていて見つけ、しばらくして近くを通ったついでに牧山川沿いを中心に案内板がないか探してみたが、見当たらなかった。その時は時間の関係もあって散策を諦めたが、和田小学校の裏辺りから山へと入れるらしいので、またいつかリベンジしたい。