尾道
所在地  広島県尾道市
JR尾道駅東側一帯
最終訪問日  2016/11/13
千光寺公園からの尾道市街の眺め 尾道は、実際に現地に行ってみると解るが、対岸の向島との距離が近く、古くからこの川のような尾道水道を活用した水運の町として発展してきた。
 尾道の名の由来は、現在の平地がまだ埋め立てられていなかった頃、海に迫る山の尾根にひと筋の道があった所からとも、伊尾から運び出される道という所から来ているともいう。また、異説として、水路を表す澪の道から来ているともいわれる。
 史料としては、平安時代には尾道の名が見え、鎌倉時代末期には備後最大級の荘園である大田荘の倉敷地として守護不入の地となり、大いに発展したようだ。室町時代に入ると、荘園領主の高野山の請地として山名氏が実地支配し、その守護所が置かれ、守護代太田垣氏が実務を担った。室町時代末期に山名氏の勢力が衰えると、大内氏に属していた杉原氏の勢力が及び、杉原氏がそのまま毛利家臣として安土桃山時代まで支配している。
 江戸時代に入っても北前船航路の寄港地として繁栄が続き、明治時代には鉄道の開通による物資の集散や造船などでも発展し、戦前には県下で広島市に次ぐ経済力を誇ったという。しかし、近年は造船業の斜陽化と高速道路の開通による水運の衰退で産業構造の転換を余儀なくされており、その高速道路網を活用した中四国の十字路としてのアプローチや、文学作品や映画、アニメの舞台になったことによる観光産業が盛んとなっている。
 尾道は坂の町としても有名であるが、それは何よりも前述のような数々の作品の舞台となったことが大きいのだろう。また、造船都市でありながら戦時中に市街地が空襲を免れたことから寺院も多く残っており、古き良き街並みが残っているという点も大きい。狭い路地と坂というのは、独特の風情があり、これが尾道の顔となっている。
 千光寺公園から町並みを眺めてみると、まさに川としか言いようの無いほど、細い海域がうねりながら街の前に横たわっており、本当に独特の景色だった。訪れた日は天気が悪く、細かな散策は諦めたが、次に訪れる時は、坂を下りながら町並みの雰囲気を味わいたい。