広島護国神社
所在地  広島県広島市中区
広島県庁北500m広島城内
最終訪問日  1995/10/9
 戊辰戦争で命を落とした78柱の御霊を祀る為、現在地から東へ川を越えた二葉の里に明治元年11月に建立された水草霊社が前身。戦前は府県社に相当する指定護国神社で、現在もいわゆる別表神社のひとつとなっており、社格は高い。
 明治政府は、志半ばにして斃れた志士を慰霊顕彰する為に招魂社を創設したが、水草霊社も明治8年に招魂社と改称し、同34年には広島招魂社となった。その後、昭和9年に現在の市民球場の辺りに遷座し、同14年には現在の名称へと名が変わったが、昭和20年8月6日の原爆投下で社殿などはすべて灰燼に帰した。
 第2次大戦後、軍国主義的なイメージから護国神社の呼称が許されなかった為、廣島神社へと名が変えられたものの祭祀は続けられ、占領統治終了後は元の名に復した。そして、昭和31年には広島城内に社殿が新築されて遷座し、戦後11年にしてようやく復興され、現在に至っている。
 中国の雄であった毛利氏が築城し、江戸時代も大藩であった広島藩の首府であった広島城の城内にある為か、広島護国神社の境内もかなり広い。また、社殿や石畳など、境内の中のほとんどが真新しかったが、これは訪れる2年前に新築した為らしい。大社と呼ばれる古社のような重ねた深い歴史はないが、これはこれで、それらの神社とはちょっと性格の違う明治期に成立した神社として、なんとなく素直に受け入れられる感じであった。