平和記念公園
所在地  広島県広島市中区
広島県庁西南500m
最終訪問日  2000/6/5
 広島市街を流れる本川、つまり旧太田川と、そこから分かれる元安川の間の中洲にあり、ほぼ爆心地にあたる。
 公園がある中島地区は、地理的要因から江戸時代より交通や水運の要地として発展し、明治になると県庁や市庁舎が置かれ、原爆ドームとなった産業奨励館も近くにあるなど、物流、経済、行政の中核施設が揃っていた。
 原爆は、旧太田川と元安川が分離する所に架けられているT字型の相生橋を目標に、昭和20年8月6日午前8時15分に投下されたが、当時のこの辺りには住宅も多く、約6500人が住んでいたといい、原爆の炸裂によってその住民はもとより、建物疎開作業にあたっていた国民義勇隊や動員学徒もここで被爆し、その大半は即死もしくは数日内に死亡した。また、建物も超高温の熱戦と凄まじい爆風によって崩壊、炎上し、一帯は一瞬のうちに焦土と化したのだった。
 昭和24年、広島平和記念都市建設法が制定されたことにより、爆心地付近の中島地区は平和記念施設として整備されることとなった。この整備工事は5年後の昭和29年4月1日に完成し、現在のような平和記念公園となったのである。
 現在の公園は、都市として発達した広島市の喧騒の中に静かに存在するといった感じで、予備知識が無ければただの都市公園のようであるが、公園内には原爆死没者慰霊碑を始め、広島平和記念資料館や数々のモニュメントがあり、戦禍の時代を思わずにはいられない重い雰囲気がある。平和な現在の、しかも整備された公園の静かな風景からは想像しづらいが、当時はここでまさに生き地獄のような情景が広がっていたはずで、日本人としては、このような時代があったことを確かに伝えて行かなければならないと思う。